夜明け前

4
 ライカの朝は早い。
 というのも、人一倍身支度がかかるからだ。年頃の女の子らしく化粧に時間がかかるとか、その日着る服選びに頭を悩ませるとかではなく、胸をつぶしたり、マスクの手入れをして外れないようにしっかりとセットしたりと、そういう理由からなのだが。
 ヘラクレス・ファクトリーの授業は、午前九時から始まる。時にはそれよりも早い時刻に朝連をする。そうなると、必然的にライカの朝は早くなるのだ。

「これで…よしっと」

 胸をトントンと押さえて脂肪の感触がしないか確認し、コルセットを巻く。組み手をしている最中にでもテーピングが外れたら一大事だ。体を密着させるのだから相手にばれてしまうだろう。だからこそ、彼女は念には念を重ねていた。
 巻いた後は服を着て、手足を保護するためのサポーターを付ける。超人にはほぼ裸としか思えないような格好をしているものも少なくないが、男装しているライカには当然それはできない。それに、大怪我でもして医務室に連れて行かれたらバレる危険性がぐんと上がる。「服を脱ぎなさい」とでも言われたら……完全にアウトだ。女だという事がバレた上に、家庭事情が暴かれて故郷へ強制送還……それだけは死んでも避けたかった。

 特に……家庭事情に関しては、なんとしてでもバレたくない。

 前髪が邪魔にならないようにしてからマスクを被る。これでツィガンへの変身は完了だ。鏡を見て不自然な所がないのを再確認し、ライカは満足げに頷いた。
 少し咽が渇いたかもしれない。この部屋には冷蔵庫がないので、何か飲みたい時は外に出て自販機で買うしかない。自販機といっても、水かスポーツドリンクかお茶しかないのだが。

 朝礼まではだいぶ時間がある。一服するには十分だろう。ライカは財布と鍵を掴むと部屋を出た。施錠を確認してから廊下を歩く。明け方の時間帯だけあってどこも静かだ。今日は朝連もないので皆眠っているのだろう。かすかに寝息やいびきも聞こえる

『グォオオ〜〜……ゴゴ……ズッ、ゴ』
「………」

 ひときわいびきの響く部屋の表札を見ると、表札には「キン肉万太郎」と書いてある。

(ミートくん、万太郎と同室って言ってたっけ……)

 こんな騒音の中で眠れるのだろうか。
 ライカは、ミートに深く同情しながら足早にその場を離れた。


******


 自販機は談話室の方にある。辿りつくには階段を上る必要がある。ライカは足早に段差を駆け上がった。登り切った先に、薄暗い廊下の先にぼんやりと明かりが見える。まだ消灯時間の為、自販機が唯一の光源になっているのだ。
 自販機の前まで来ると、ライカは財布から小銭を取り出して入れた。起動したのを確認して、緑茶のボタンを押す。鈍い音をたてて缶が落ちた。
 缶を拾い上げ、部屋に戻ろうとライカは元来た道を引き返そうと踵を返した。


「おい…」
「ッ!?」


 談話室の椅子に、誰かが座っている。あまつさえライカに声をかけている。相手は暗くてよく見えない。背筋を冷たいものが走ったが、良く見ると赤い切れ長の目らしきものが見える。同時に聞こえるのは、独特の呼吸音。

『コー、ホー』
「ウォーズマン先生…?」

 ライカはホッと胸をなでおろした。ウォーズマンの黒いボディーが保護色になって、暗がりでは見えづらくなっていたのだ。しかしそれもつかの間で、ライカの脳裏に浮かぶのは初日の夕飯時に伝説超人達を観察していた自分をじっと睨んでいた彼だった。しかも今は早朝とはいえ、消灯時間内だ。

(お、怒られる――!?)

 伝説の正義超人がぐちぐちと小さい事を気にするとは考えたくないが、ウォーズマンはロボ超人である。記憶力はきっといいだろう。先日のことも覚えているかもしれない。むしろ今、出歩いている事に関して何か言われるかもしれない。反射的に、ライカは縮み上がった。

「――そんなに固くしなくていいから」
「……えっ」

 かけられた声音は、意外にも柔らかかった。
 ウォーズマンは椅子から立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。教師である彼に歩かせる訳にはいかないと思い、慌ててライカは駆け寄った。

「お、おはようございます」
「おはよう。いつもこんなに早いのか?」
「は、はい。朝に弱いので、ギリギリまで寝ると遅刻が怖くて…」

 とっさに考えた言い訳を口にする。
 まさか男装するために早起きしているとは、口をベアクロ―で裂かれたとしても言えっこない。

「……良い心がけだな」
「あっ…ありがとうございます」

 怒られるとは思っていたが、褒められるとは思わなかった。拍子抜けしつつもライカは嬉しかった。嘘をついているのが、心苦しく思うほどだった。

「―――ヴォルクは…」
「えっ」
「いや、お父上は元気か?」

 あ、とライカは思いだした。そういえば、父は若い頃同郷のウォーズマンと特に仲が良く、よく飲みに行っていたと話していた。

「はい、おかげさまで…」
「ならよかったが…ずっと連絡が取れなかったから心配していたんだ。だから君が生まれていた事も、全然知らなかった」

 ―――マスク越しに、ライカは冷や汗をかいた。

「…申し訳ございませんでした。父に代わってお詫び申し上げます。僕が生まれたことで、育児と家業の両立に随分と苦労したようなんで、ご連絡もままならなかったのだと思います。先の悪行超人との戦いも、この学校の運営にも参加できず…」
「いや、君が謝る事では……以前住んでいた家は、離れたのか?」
「はい、家業の影響で」
「お父上は今、仕事は何を?」
「ハンターです。もともと、獣害の被害に事欠かない場所に住んでいたので、退治を人間に依頼されていたのがきっかけで…」
「そうか……」
 ウォーズマンは納得したようだった。

 本当のことは絶対に言えなかった。たとえ、友人であったというこの人でも。

「…すまないな、根掘り葉掘り聞き出して」
「いえ……」
「君のお父上……ヴォルクは、俺の友達でね」
「はい、お話は良く聞かされておりました」
「本当?」

 横に長い赤い目が、更に細められる。これは笑っているのだろうか。

「ヴォルクには本当に世話になったよ。誰にでもそうだったが、あいつは本当に優しい奴だった……ロボ超人の俺にも、初対面から偏見を持たずに接してくれた」
「………」
「今回君が入学届けを出してきた時は本当に驚いた。実際に見た時はもっと驚いたよ。皆…あのロビンですらね」
「ロビン校長が?」
「とにかく皆、君と話したくて仕方ないみたいだ。……バッファローマンも言っていた。『ヴォルクと瓜二つだ』と。鍛え甲斐がありそうだと喜んでいたよ」
「はははは……お手柔らかに……」

 笑顔で竹刀を振り回すバッファローマンを想像し、冗談じゃねぇと内心ツッコミを入れながらライカは答えた。不本意ながら、目を付けられたらしい。

「バッファローマンだけじゃない。俺も、ロビン達も、君に心から期待しているんだ。迷惑に感じるかもしれないけど、本当にそう思っている」

 ライカの左肩に、ウォーズマンの手が置かれた。機械の影響で冷たいと思われていたその掌は、意外にもその真逆だった。服を通じて、熱いくらいの体温がライカに伝わる。

「今は辛いかもしれないが、頑張ってくれ。応援している」

 どくん、とライカの心臓がはねた。
 夢ではなかろうか。あのウォーズマンが、あのファイティングコンビューターと異名を持つ伝説超人が、自分に向かってこれほどまで優しい言葉をかけているだなんて。しかも、彼のみならず、他のレジェンド達までが、自分を気にかけてくれていただなんて。

「あ……ありがとうございます!先生方の期待にこたえられるように、一層励んでいきます。そうお伝えください」

 深く頭を下げた。できることなら他の伝説超人達にも、直接この気持ちを伝えたかった。

「ああ、頑張ってくれ。……すまないツィガン、少々喋りすぎてしまったな」
「そんな…」
「引きとめてすまなかった。さぁ、部屋に戻りなさい」

 ライカは最敬礼し、踵を返して談話室を出た。

「―――そうだ、ツィガン!」

ウォーズマンの声が背後から聞こえる。

「ヴォルクに伝えてくれ。……今度、必ず会おうと」

 振り返り、「わかりました」と伝えて階段へ向かった。
カツン、カツン、と響く自分の足音を聞きながら、学生寮のある階にまで戻る。

(……ごめんなさい、ウォーズマン先生)

 貴方達の知っている父は、もういないんです。

 嬉しさと、罪悪感で心を半々にしながら、ライカは自身の部屋のドアに鍵を差し込んだ。


******


 ツィガンが去るのを、ウォーズマンはじっと見つめていた。
 彼の背中が、階段を下って行くのを見届けてから、自身も談話室を後にした。

「………」

 ウォーズマンは再度階段に目をやる。既にツィガンの姿はなく、先程まで聞こえていた足音すらも聞こえなくなっていた。
 外の空気を吸おうと外に出て、偶然会ったのは、音信不通になったものの、未だ自身にとっては大切な友人だと思っている男の息子であった。気づいていないようなので知らんふりを決め込んでもよかったのだが、意を決して話しかけてみたのだ。
 ウォーズマン自身、自分は無口なほうだと理解している。しかし、今回は内心驚くほどに饒舌になっていた。聞きたい事があったというのも理由の一つだが、それ以上にツィガンと話していると居心地がよく、まるでヴォルクと話しているような錯覚すら覚えたのだ。
 ツィガンは良い子だ。あの年頃の少年にしては比較的珍しく、素直な気質を持っているように感じられる。バッファローマンが見込んでいただけの事はあるだろう。

しかし、何故だろう。
何かが引っ掛かるのだ。
それがなんなのかは分からないが。

『コーホー……』

 深く息をつき、ウォーズマンは自身の部屋へと戻っていった。


******


「何か良い事でもあったの?」
「えっ」

 向かいの席に座るセイウチンに聞かれて、ライカは目を丸くする。

「何で?」
「朝礼の時から、すごい嬉しそうな顔してたから、気になってただ」

 初対面の時もそうだったが、セイウチンは本当によく気がつく。とても心強いが、下手をしたら自分の秘密もいつかばれてしまうかもしれないと、ライカは内心思った。

「ちょっと良いことがあってね」
「えー、教えてくれないだ?」
「秘密秘密……」

 ごまかしながら味噌汁を啜る。ウォーズマンとの一件は話しても差し障りはないかもしれないが、できれば自分だけの大切な思い出にしておきたかった。

「愛しのパパから連絡でもあったんじゃないか?」

 セイウチンの隣に座っているガゼルマンがからかうように言う。初日に言葉を交わして以来、ライカの何を気に入ったのかは分からないが、こうしてちょっかいを出してくるのだ。こんな奴の癖に、座学も実技も成績がトップであることが腹立たしい。

「僕はファザコンじゃないっ!」
「わかったわかった、そう噛みつくなよ仔犬ちゃん」
「だから仔犬じゃねぇって…」
「二人ともー、食事中だよー」

 慣れた口調でセイウチンが諌める。送迎機で会って以来、この3人のやりとりは、すっかりヘラクレス・ファクトリーの名物と化していた。周囲の同級生たちも、「また始まった」と口々に言いながら声をひそめて笑っている。

「ガ〜……スピッ」
「食べながら寝るなよ、万太郎……」

 隣で箸を握りしめたままうたた寝をしている万太郎を、ライカはつつき起こした。あの後、訓練中に何かと世話を焼いたり(ライカが兄貴で、万太郎が弟みたいだとガゼルマンに揶揄された)、ミートと話したのがきっかけで、ライカは万太郎ともよくつるむようになっていた。結果的に、食事はミートを含めた5人で取る事になる。

「あんなにデカいいびきをかいて寝てたのに、まだ眠いのか?」
「え、なんでツィガンってば、ボクのいびきの事知ってるの?」
「……聞こえてたから。ミートくんも、同室なのによく眠れるね」
「ははは……まあ、流石親子の血は争えないというか…経験で、慣れてますから」

 そう笑い返すミート。例の、姿が変わっていなかった理由を、二日目の食事中にライカは教えてもらった。自身の人生を正義超人の育成に捧げるために冷凍カプセルにはいっていたらしい。本当にけなげで真面目な人だと思った。万太郎にはもったいないくらいのサポーターである。


 ズズ、と耳に付く、椅子を引く音が背後から聞こえ、思わずライカは振り返った。少し離れた斜め側の席に、キッドが座っていた。自主トレでもしていたのだろうか、首にタオルを巻いている。キッドとは、例の万太郎との一件以来まともに口を利いた事はない。ライカが万太郎と親しくしているから、同じように嫌われているのかもしれない。

「キッド、おはよう」

 挨拶してみたが、キッドは一瞬目をこっちにやっただけで何も言ってこない。そのまま食事を始めてしまった。席は離れてはいるが、聞こえるくらいの大きさの声をかけた。無視されたのは明白である。

「うわぁ〜……感じ悪っ」
「U世、声が大きいですよ」

 文句を言う万太郎を、ミートが声をひそめて叱っている。

「…毎朝毎朝、無視されまくってるのによく声掛けられるな」
「んだ〜、気分悪くないのぉ?」
「まあ、少しは……でも、間違ったことしてるわけじゃないし」

 ガゼルマンとセイウチンの問いかけにそう答えると、雑穀の混じった米を咀嚼した。
 以前までのライカだったら深入りはしなかっただろうが、ここでできた友人たちと生活を共にしていく中で、少しだけ意識が変わっていた。こうして人と集まって、取りとめのない会話をしながら食事するというのは、なかなか楽しい行為だ。ライカにとって「あの時」以来、食事は「父の顔色をうかがう時間」であり、終始肩の力が抜けないものだったから、なおさらそう感じるのだ。
 時には静かに一人で食べたい時もあるかもしれないが、気の許せる者と食事をするというのもけっして悪いものではないと思う。終始一匹狼を貫いているキッドも、そう思うときはあるのではないだろうか。彼はここに到着して以来、誰とも親しくつるんでいないのだ。
 尤も、これはライカ自身の意見であって、押し付けるつもりは毛頭ないが――

(いつか、どうにかなればいいんだけど)

 そう心中で呟き、ライカは湯飲みを煽った。

(改訂:2019.05.06)
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