灰色の空の下で色味に欠ける海が揺れていた。ここの海はずいぶん遠浅だ。浅瀬の一番はじっこ、水が深くなり始めるあたりに鉢屋くんが立っている。なんだかさみしそうな顔をしているので声をかけづらい。海の向こうから吹いてくる風が水面にさざ波を立てる。ふ、とあたりが暗くなる。上を見上げると銀色の大きな鯨が空を泳いでいた。鯨はたいそう考え深そうな目をしている。かと思えばゆっくりと口を開けてあくびをした。その大きな口から出てくる鯨の声は今までに聞いたどんな音より大きく、不思議な響きだった。その時に鉢屋くんがこちらを見て何かを言っていることに気付く。懸命に何かを伝えようとしている鉢屋くん。けれど鯨の声にかき消されて彼が何と言っているかはわからないのだった。


「おはよう、鉢屋くん」
「おー」
「今日は鉢屋くんが夢に出てきたよ」
「ほう…出演料払えよ」
「だが断る!それじゃ、またあとで!」
「んー」

私と鉢屋くんは高校のクラスメイトだ。鉢屋くんは徒歩で、私は自転車で通学している。お互いに始業時間ぎりぎりに登校するのが常なので朝はよくこうして挨拶をする。とは言ってもきっと私から挨拶をしなかったら鉢屋くんから挨拶をしてくれることはない気がする。まだそこまで打ち解けてくれていないから。私はもっともっと仲良くしたいのだけれど、鉢屋くんはとってもシャイな人なのだ。シャイでミステリアス。打ち解けるとけっこう愉快な人。そんな彼とクラスの中で特に仲がいいのは不破くんと竹谷くん。いつも鉢屋くんの席のまわりに集まって楽しそうに話している。鉢屋くんの席は窓際の一番後ろで、私の席はその隣。楽しそうな三人がうらやましくてじっと見ているとたまに目が合う。手を振ると不破くんと竹谷くんは振り返してくれるけれど、鉢屋くんはぷいっと目を逸らしてしまう。この間思いあまってウインクをしたら呆然としていた。竹谷くんと不破くんには大いにうけたのだけれど。授業中の鉢屋くんは眠っているか頬杖をついて窓の外をぼんやり眺めているかのどちらかだ。

「ねえ名前、今日席替えだって」
「え、そうなの?いい席だといいねえ」
「あんたもまた鉢屋の隣だといいね」
「うん!」

私も今回こそは好きな人の隣になりたい、と意気込む友人は緊張した面持ちで自分の席へ戻っていった。私はできることなら窓際の席になりたい。私たちの高校は来るものを拒むような坂の上にあり、窓からはきれいな町並みを見下ろすことができる。建物の屋根は赤茶っぽい色ばかりでどことなくイタリアの風景のようだ。そして町が途切れるあたりに海が見える。学校の最寄りの駅から電車に乗れば十分足らずで着く距離なのだけれど、私はまだあの海に行った事がない。実際に海に行ってみるのもさぞ素敵だろうと思うけれど、授業中に目を閉じて潮の匂いや海を渡る風に思いを馳せて過ごすのもなかなか素敵なのだ。

海。そう、海といえば今朝の夢だ。あんな夢を見たせいか今日はいつもよりも鉢屋くんのことが気になってしまう。ちらりと隣に座っている鉢屋くんを見ると、鉢屋くんは世の中のどんな出来事にも興味がなさそうな顔をしていた。多分まだ眠いんだろうと思う。小さく手を振ると露骨に嫌そうな顔をされた。






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