ひざを抱えたままお湯にぶくぶくと顔を沈めた。そのまま何秒かこらえていたがすぐに息が続かなくなって顔を上げる。少し冷静な頭になってふとよぎるのは昨晩の三郎の照れくさそうな顔だった。あんな顔初めて見たかもしれない。彼女か…きっと三郎が好きになるくらいなんだから素敵なひとなんだろう。いずれこの家にも遊びにくるかもしれない。そこまで考えてふと気づく。三郎に彼女ができた以上は私がここに住んでいるのはまずいのではないだろうか。どうしよう。ひとまず今日のところは誰かの家へ泊めてもらって少しずつ荷物をまとめて……その後はどうしようか…そのまましばらく自分のひざ小僧をにらんでいたが、頬をパン、と叩いて気合いを入れ、浴槽を出た。とりあえず今からでも大学へ行って講義を受けて、そのまま友達の家へ泊めてもらおう。細かい事を考えるのはそのあとでいい。私は大雑把にそう決めるとざっと身支度をして家を出た。



「三郎に彼女!?」
「そうなんです…」

いくつかの講義を受けたあと、誰か泊めてくれそうな人はいないものかとあたりを見回したが、どうした事か友人達はみんな、隣に男の人がいて、幸せそうに笑っているので、とても泊めて下さいとは言い出しづらい空気を醸し出していた。皆いつの間に…と途方に暮れているところに能天気そうな笑みを浮かべながら勘ちゃんがやって来たのだ。俺さっき鳩の糞が足下に落ちてさあ。間一髪だったよーとへらへらしている勘ちゃんを見て、この人ならば大丈夫であろうと内心失礼な確信を得た私は今晩泊めて下さいと最敬礼でもって頼み込んだ。案の定二つ返事で了承してくれた所までは良かったのだが、勘ちゃんの家へ着くなり「三郎とケンカでもしたの?」と聞かれてしまい、まだうまく自分の気持ちが整理できていないながらも昨日の夜のことを話したところ、勘ちゃんは大きな目をさらに大きくまるくして驚いた。

「へぇー…で、名前としてはどうなの?」
「どうもこうも…早くアパートか何か借りないと家なき子になっちゃうよ」
「違うよ、三郎に彼女ができたって聞いて名前はどう感じたの?嬉しかった?悲しかった?腹が立った?」
「とにかくびっくりした…かな。花火大会だってあいつ彼女と行ってたんだよ。私たちと約束してたのにひどいよね!」
「本当だね。俺、三郎は名前のことが好きなんだと思ってたけどな」

一瞬空気が固まったような気がした。今はそういう話はしたくない。全身で拒絶の信号を送る私に気づかないような風で勘ちゃんは続けた。

「三郎、名前のことすごい大切にしてたのにね。彼女ができたってことは、名前よりもその人の方が大切になったってことだねぇ」

得々として語る勘ちゃんの顔がどんどん滲んで見えなくなる。ああ、また私泣いてる。昨日からどうしたんだろう。泣く理由なんてないのに。昨日とは比べ物にならないほど大粒の涙が次から次へとぼたぼた落ちる。不意に目元を拭われて体をこわばらせると優しく笑う勘ちゃんの顔が見えた。

「泣かせてごめん。でもね名前、俺のこと友達だと思うなら、名前が今どんな気持ちなのか本当の事を聞かせてほしい」

前も言ったけどもっと甘えてよ、と苦笑した勘ちゃんに優しく頭をなでられてまた涙が落ちた。目も喉も熱くて痛くて、私は勘ちゃんの服のすそを握りしめて初めて声を出して泣いた。

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