さあさあと雨が降っている。この間の事があってから早一ヶ月、季節はもう梅雨だ。窓ガラスに手を置いて外を見る。庭の紫陽花が雨に濡れてきれいだ。

あれからも三郎の私に対する態度は以前とまったく変わらない。もしかしたら本当に私をからかっていただけかもしれないと思ってしまうほどに。ただ、時折頭をよぎる三郎の切なそうな表情がそれを許さなかった。無性に誰かに話を聞いてもらいたいと何度も思ったがこれは私の問題なのだということだけは分かっていた。

まだ早い、と思った。何がかは分からない。ただまだ早い、とだけ思った。頭が問題に向き合う事を拒否している。
もう少しだけ、この生温い水にひたされているような暮らしをしていたかった。

そんなことを思いながら庭を眺めていると名前を呼ばれ、あわてていつもの顔で振り向く。そうして私はいとも簡単に思考を手放すのだ。

「名前、どうした?そんな所に突っ立って」
「紫陽花、見てた」
「紫陽花か……」

そう言うと三郎は私の隣に立って窓ガラスに手をつき、中指をトントンと動かした。これは何かを考えている時の三郎の癖だ。何を考えているのだろう、と猫背気味なのにも関わらず私より頭ひとつ分背の高い彼の横顔を見ていた。すると三郎は私を見て、口の片端をくっと上げて笑った。

「今から紫陽花見に行かないか?」
「庭にあるのに?雨なのに?」
「少しは風流を解するということをしろ」
「うーん……」
「もう決定な。ほら行くぞ!」

渋る私を意に介さず、三郎はあっという間に私の支度までととのえ外へと連れ出した。そして気がついた時には紫陽花が沢山咲くお寺に私たちは来ていた。薄い青色をした紫陽花ばかりが何百と咲くその場所は雨のせいか人もまばらで、とても静かだった。

「すごい…青い…」
「一言目の感想がそれか…」

私の子どもみたいな感想を聞いて苦笑する三郎の後ろでも紫陽花が満開だ。

「そうだ、名前。明日から一週間、研究室の研修旅行に行かなきゃいけなくなったから、留守番よろしくな」
「一週間も……わかった」

三郎には青がよく似合う。静かに降る雨が三郎の事も紫陽花も濡らしている。なんだか三郎がそのまま花の中に消えていってしまいそうに見えて私は三郎の手をつかんだ。
三郎は一瞬目を見開いてから、私の手を握り返して「お土産買ってくるよ」とやわらかく笑った。

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