私は物心ついた時から偏屈な子供であった。近所に住む女の子らがするような人形遊びやおままごとにはとんと興味がなくいつでも絵を描いていた。そんな私でも年頃に成長するにしたがって、父の友人やなんかが縁談を持ってきたりもしたのだが私はことごとく逃げ回り父の怒りを買い、そんなに結婚したくねぇなら手前一人で生きていく術を見つけやがれと家をほうり出されてしまったのだった。しかしながら世の中捨てる神あれば拾う神あり。私が途方に暮れつつ河原で風景を描いている時に偶然通りすがったのが現在の私のお師匠さんの竹谷八左ヱ門である。お師匠は私の絵を見て、「おめェ筋はいいが線がてんでなっちゃいねェよ。勉強したいんだったら俺んとこィ来な」と誘ってくれたのだった。弟子入りしてわかったのだがこの竹谷八左ヱ門というのはかなりの変わり者であった。酒に滅法界強い遊女がいると聞けば飲みっくらをしに出かけて行くし、夜になるとぼうっと光るお化け銀杏があると聞けば嫌がる私を無理矢理連れて見に行くし。しかしこんなお師匠でも腕は確からしく、豪快な性格に似合わず器用で、花鳥山水から美人画までなんでもござれだ。この間一緒に町を歩いている時に急に往来に腹ばいになり、「名前もちょっと寝てみろ」と言われた時は一瞬気でも違ったかと心配したが、しぶしぶ一緒に腹ばいになった私に「いいか。普段立ってる時とこうしてはいつくばってる時では見える空と地面の割合が違うだろう。犬や猫なんかはいつもこの景色を見てるんだ。鳥なんかは空の割合は一割くらいで視界のほとんどは地面だろう。いいか名前、いっつもおんなし景色ばっか見てたっていい絵は描けねぇんだ」と言われた時はやっぱりこの人に弟子入りして良かったと思ったものだ。






まさに俺得、江戸時代杉浦日向子さんパロ。