放課後、誰にも見つからないようにこっそりと裏庭の木立の中で体術の練習をしていた。どうも私は体術が苦手で、こうしていつも放課後に練習をしていているのだ。それにしても一人で練習しているのはいいが、上達しているのかしていないのかいまいち分からないのが難点だと思う。ああダメだ。余計な事を考えないで集中しなければ。
 もやもやと浮かんでくる雑念を振り払うように体を動かしていると、茂みを踏み分ける音がした。誰かがこちらへ来る。緊張して音のする方をじっと見ていると、現れたのは私と同い年の忍たまの久々知君だった。

「久々知君…!」
「何か声が聞えたから来たんだが…名前だったのか。何してるんだ?」
「え、いや、別に?何もしてないです…」
「ふーん」

慌てた様子の私を意に介する事もなく久々知君はずんずんと近づいてくる。わああ緊張する。ひょんな事から久々知君と付き合い始めてもう大分経つけれど、未だに彼氏彼女というのに慣れないというかなんというか、久々知くんがいると変に慌ててしまう。それを友達に言ったら久々知君の事がすごく好きなんだね、なんて冷やかされてしまったけれど。

「…体術の練習してたんだろ?」
「何で知ってるの…?」
「こっそり見てたから」
「えええ…!」

まさか見られていたとは。焦りと恥ずかしさで真っ赤になった顔を両手で覆って久々知君に背を向けると、久々知君は私の真後ろに立って顔を覗き込んできた。ち、近い。距離が近いです恥ずかしいです混乱するのであまり近寄らないでくださいうわああああ。
 混乱しきった頭を必死で落ち着かせようとしているのにも関わらず久々知君はどんどん顔を近づけてくる。近い近い。あまりの近さに目をぎゅっと瞑ると、頭をぐっとつかまれてゴチンという音がした。…痛い。おでこが痛い…。そっと目を開けると目の前にはおでこを赤くした久々知君がこちらをじいっと見ていた。何故かは分からないけれど少しふてくされたような表情で。

「久々知君…?」
「体術が苦手だから練習してたんだろう?何で言ってくれないんだ?」
「えっと、恥ずかしいからというか何というか…」
「…俺に言ってくれればいつでも練習に付き合ったのに」
「…ご、ごめんなさい」

怒らせてしまったんだろうか。腕を組んで黙り込んでしまった久々知君を見て心臓がぎゅっとなった。久々知君は私と違って文武両道で、だから、そんな久々知君につりあうようになりたくて、一人で練習をしていたのに。じわりと浮かんできそうになる涙を抑えていると、ふいに久々知君は顔を上げて、満面の笑顔でポンと手を打った。

「よし、じゃあこうしよう」
「ど、どうするの?」
「今から俺と手合わせをしよう。それで俺が勝ったら、これから名前は俺の事を久々知君じゃなくて兵助って呼ぶこと」
「そんなの無理だよ…!久々知君に勝てる訳ないし…し、下の名前で呼ぶのも恥ずかしくて…」
「ちなみに俺が勝ったのに名前が条件に従わない場合は俺は地の果てまででも名前を追いかけて行ってここではとても言えないような事をします」
「ええっ!?」
「それで名前が勝った場合は…まあ、体術上達おめでとうという事で俺のおすすめの豆腐屋の豆腐をごちそうしよう」
「ちょっと、待って、ください…!」

私の制止の声にも聞く耳持たず、久々知君は一旦私から離れた場所に歩いて行き、首や腕をぐるぐる回した後に二三度その場で軽く飛び跳ねると、一気に間合いを縮めてきた。速い。
 あっという間に私の目の前まで来た久々知君の突きを何とかかわし、間髪入れずに襲ってきた足払いを後ろに飛びすさってよけた。どうしよう。久々知君、目が本気だ。考えている間にも久々知君の攻撃は続き、私はそれらをかわすので精一杯だ。

「…名前からも攻撃しないと、勝てないぞ?」
「分かってる…けど!」

久々知君が言葉を発した時に一瞬できた隙を見逃さずに頭を狙った蹴りを放ったが、すぐにその足を掴まれてしまった。

「あんまり大きい動きだと見切られやすいから気をつけた方がいいと思う」

そう言って特に表情を変えることもせずに私の足を放した久々知君は、すぐに私の襟をつかみにきた。まずい。襟をつかまれたらあっという間に組み伏せられてしまう。その手を弾いて久々知君の後ろに回り込むことに成功した私は、後ろから彼の首を絞めようと手を伸ばしてはたと気付いた。あ、これ自分より背が高い相手には無理かも。
 そんな私の一瞬の逡巡が見逃される筈も無く、素早くこちらを振り向いた久々知君に、あっという間に地面に組み伏せられてしまい、しばらくお互いの息づかいの音だけが響いていた。
 
「…名前、結構動けるんだな」
「ほ、ほんと?ダメダメじゃなかった?」
「うん。後ろに回り込まれた時は一瞬負けたかと思った」
「よかったあ…」

地面に伏せたまま安堵のため息をついていると、久々知君は不意に私をぐっとひっくり返して仰向けにした。

「ちょっと、久々知君…!?」
「俺が勝った時の条件、覚えてる?」

私に覆いかぶさるようにして久々知君はこちらをじいっと見つめてくる。あまりの出来事に顔を手で隠したかったが、隠そうにも両手をおさえられてしまっている。これは。私が下の名前で呼ぶまで絶対に放してくれないつもりだ…!どうしよう。でも呼ばなかったら何をされるかわからない。久々知君の行動は予想がつかない分、おそろしい。…覚悟を決めるしかない。
 相変わらず私を見つめたまま微動だにしない久々知君に視線を合わせて、深呼吸をしてから私はおそるおそる口を開いた。

「へ………兵助くん」
「………」
「兵助くん………?」
「………………」

久々知君…もとい兵助君は、私が意を決して名前を呼ぶと、緩慢な動きで私から離れ、装束の左胸のあたりを握りしめてぽつりと呟いた。

「これは…」
「ど、どうしたの?」
「す、すごく…」

その後も兵助君は意味の通らないことを二言三言呟くと、何故か私に背を向けて走り去って行ってしまった。私は呆気にとられてしばらく遠ざかっていく兵助君の揺れる黒髪を見つめていたが、我にかえってすぐに兵助君を追いかけた。どうしたんだろう。いざ下の名前で呼ばれてみたら何か気持ち悪かったとか…!?
 兵助君が行ってしまった方向へ必死に走っていくと、そこに広がっていたのは尾浜君に抱きついている耳の真っ赤な兵助君と、にこにこしながら兵助君の肩をたたいている竹谷君と、その隣で含み笑いをしている鉢屋君不破君という謎の光景だった。事態が理解できない私がその場に立ち尽くしているのに気がついた不破君と鉢屋君はすすすっと私に近づいてきて、左右両方から私に耳打ちをした。

「兵助、名字に下の名前呼んでもらったのが嬉しすぎてどうしたらいいか分からなくなったらしいよ」

それを聞いた私の顔も、兵助君に負けず劣らず真っ赤になり、私たちはその場にいた皆に大笑いされてしまった。












5005でリクエストを下さったスナムー様に贈ります。甘甘なお話になったんでしょうか…これは…。私が書くとどうも久々知君が謎の精神構造を持った人になってしまいます。おとなしめの主人公に賭けを持ち出してくる久々知という私では思いつかない設定だったので書いていてとても新鮮な気持ちでした。ではでは、リクエストありがとうございました!!

2010.10.21 ヨル