久々知先輩が実習から帰ってきた次の日、私は一人で町まで来ていた。学園の廊下でばったり学園長先生に会っておつかいを頼まれたのだ。ひとつは学園長先生のご友人に手紙を届ける事。もうひとつは町で何かおいしそうな甘いものを買ってくること。手紙を届けるのはすぐ済んだのだが、もうひとつの方の甘いものを買うのに手こずってしまっている。「何かおいしそうな甘いもの」という漠然とした言葉に悩まされているのだ。甘いものって言ったってたくさんあるしなあ……「名字」お店の前で腕を組んで考え込んでいると不意に後ろから名前を呼ばれた。振り返るとあまり見慣れない顔をした男の人。この人は確か以前、図書室で見たような。

「…五年生の不破雷蔵先輩ですか?」
「残念。私は雷蔵ではなく鉢屋三郎という。この顔は変装で、雷蔵の顔を借りているんだ。以後よろしく」

そういえば五年生には変装の名人がいると聞いたことがある気がする。

「鉢屋先輩…は、どうして私の名前を知っているのですか?」
「兵助から聞いたんだよ。年下のくのたまの子と友達になったって」
「久々知先輩が私の事を」
「うん。名字と友達になれて喜んでいた。ちょっと変わった奴だが仲良くしてやってくれ」

あの人をちょっと変わってるという言葉で片付けていいのだろうか。この際だから久々知先輩のことを色々鉢屋先輩に聞いてみようか。

「久々知先輩は何故私と友達になろうと思ったのでしょうか」
「私は知らないなあ。それは本人に聞いた方がいいかもしれないな」
「そうですよね…すみません」
「いや。友達になるのに大した理由やきっかけなんかいらないさ。今日こうして話したからには私と名字も友達だ」
「私と鉢屋先輩がですか?」
「嫌かい?」
「い、いえ、嫌じゃないです。」
「じゃあ今から私たちは友達だな。改めてよろしく」
「は、はい。よろしくお願いします」
「ところで名字はこんな所で何をしてたんだ?」

そうだった。聞かれて思い出したが今は学園長先生のおつかいの途中であった。

「学園長先生のおつかいで、何かおいしそうな甘いものを買ってくるようにと言われているのですが、何がいいのかわからなくて悩んでたんです」
「なるほど。学園長先生はこの店のまんじゅうが好きだからそれにしたらいいんじゃないか?」

鉢屋先輩が指さした先にはこの店の人気商品らしいおまんじゅうが並んでいた。見ている間にもどんどん売れていたのであわてていくつかを買った。

「ありがとうございました。鉢屋先輩のおかげで助かりました」
「どういたしまして。私はもう学園へ帰るが名字も一緒に帰るかい?」
「いえ、まだ少し見たいお店があるので」
「そうか。じゃあまたな。今日は夕立がきそうだから早く帰れよ」
「はい!ではまた今度」

軽く手を挙げて去っていく鉢屋先輩の後ろ姿を見送ってから私はさっきのおまんじゅうを買ったお店に戻った。そして友達へのおみやげにお団子を買い、ちょっと考えてから久々知先輩と鉢屋先輩の分のお団子も買った。飄々としていてつかみ所のない人だったけど、いい人だったな。鉢屋先輩。 そのあとも私は新しい髪飾りを買ったり、布屋をのぞいたりしていたのだが、もう夕方になったので帰ろうと学園へと歩き始めた。歩き出してしばらくすると山の向こうからどんどん黒い雲がやってきて、あっという間に土砂降りの雨になってしまった。うわあ。鉢屋先輩が注意してくれたのに忘れてた。田舎の一本道なので雨宿りできるような場所もなく、仕方ないので私は買ったお団子やおまんじゅうが濡れないようにしっかり懐に抱え直して学園に向かって走り出した。雷がすごい音で鳴っていてこわい。ちょっと泣きそうかもしれない。びしょぬれだから寒いし。半べそで走っていると向こうの方からも誰かが走ってくる。や、山道で旅人をからかう妖怪だったりしたらどうしよう。心細さが頂点に達した時に向こうから走ってきた人影は妖怪ではなくなんと久々知先輩であった。傘をさした先輩は怖い顔をしていたが私の姿を見つけた瞬間にほっとしたように表情をゆるめた。

「名字、大丈夫か?三郎から町で会ったって聞いたんだけど、それからずいぶん経っても帰ってこないから心配で迎えに来たんだ。夕立がくるって三郎、に」

迎えに来てくれてありがとう、とか、迷惑かけてすみませんとか、色々言わなければいけないことがあったのだが心細さが頂点まできていた私は久々知先輩がまだ話しているのに思いっきり抱きついてしまった。

「…え、えっと、名字?大丈夫か?怖かったのか?」

しがみついたまま喋らない私の頭を先輩がなでてくれている。うう。先輩。変な人とかよく分からない人とか思っててごめんなさい。先輩はとっても頼りになる、いい人でした。これからは認識を改めます。…少し冷静になって気がついたが今の私はびしょぬれである。したがって私がしがみついている久々知先輩の服もかなり濡らしてしまっていた。私はあわてて先輩から離れた。

「ご、ごめんなさい先輩、急に抱きついたりして、服も濡らしてしまって」
「い、いや、大丈夫。それよりもそのままじゃ風邪をひいてしまうから早く帰ろう」

先輩はそう言って私を傘の中に入れてくれた。あ、相合傘だ。先輩とひとつの傘に入っているのが妙に気恥ずかしく黙って歩いていると、先輩がこちらをちらっと見た。

「名字、寒くないか?」
「はい。大丈夫です。体は丈夫なんです」
「そうか、良かった。…そういえば、さ、三郎とは、何を話したんだ?」
「鉢屋先輩ですか?えっと、学園長先生のおつかいで何を買おうか悩んでいたら、学園長先生の好きなおまんじゅうを教えてくださいました。あと、お友達になりました」
「友達!?」
「は、はい。今日こうして話したからには私たちはもう友達だと」
「そうか……」

先輩は一瞬険しい表情をしたがすぐにいつもの表情に戻った。そしていつの間にか私たちは学園にたどりついていた。話してたから気づかなかったなあ。入門表にサインをしてから学園に入ると先輩は懐から大判の手ぬぐいを出して私の頭にかぶせてわしゃわしゃと拭いてくれた。

「少し手ぬぐいも濡れてしまったが拭かないよりはいいと思う。部屋に戻ったらすぐに風呂に入れよ」
「は、はい。今日は本当にありがとうございました」

先輩はにこっと笑って「いや、いいんだ。俺はこれから三郎と少し話さないと…」と呟いてから忍たま長屋の方へ帰っていった。私はそのあとすぐに学園長先生におまんじゅうを届けてからお風呂に入った。そして部屋で髪を乾かしている時にふと先輩に借りっぱなしにしてしまった手ぬぐいが目に入った。拾い上げると手ぬぐいから微かに久々知先輩の香りがして急にドキドキしてしまい、手ぬぐいを抱きしめたまま畳の上をごろごろと転がって同室の友達に怪しいものを見るような目で見られた。どうしよう。なんなんだこの気持ち!


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