ぼんやりとした曇りの昼下がり、机の上の花瓶にさしてある桃の花を見る。
あんなにきれいだった桃の花びらはもうだいぶ萎れてきてしまった。私は眉間に皺をよせて大きいため息をついた。
勘右衛門を放り投げたのが三日前。それからあいつはぱたりと姿を見せなくなっていた。
あのすけべ男め、お尻がさわれるならきっと私じゃなくて他の誰かでもいいに違いない。…私は楽しかったのにな。尻をさわられたこと以外は。
少し悲しい気分になってうつぶせているといきなり部屋の戸が開き、能天気な声が頭の上から降ってきた。
「うー、疲れたー。名前ちゃんただいま」
「…勘右衛門!どうしたの?」
「今実習から帰ってきたんだよー。俺五年の中で一番乗り!」
はーよっこいしょと年寄りじみた声を出しながら勘右衛門はうつぶせている私の隣に腰を下ろした。
…実習だったのか。良かった。上半身を起こして、いつもより少しくたびれた雰囲気の勘右衛門をじっと見ていると、勘右衛門は、ん?と首を傾げた。
「…お帰り。三日も現れないからどうしたのかと思ってた」
そう言うと何故か勘右衛門はとても嬉しそうな顔をした。
「ただいま。…そっかそっか、名前ちゃんは寂しかったか」
「そんな事一言も言ってないんですけど」
「あっ、そうだ!前に借りた手拭い返したいから俺の部屋においでよ!今なら誰もいないから!」
「う、うん?」
今なら誰もいないという言葉がどうも気になったが、くのたまと忍たまが部屋を行き来するのはよろしくないことだとされているから、
その辺を配慮しての言葉だろう。多分。きっと。そう自分を納得させて勘右衛門について行った。
実習から帰ってきたのが一番乗りだと言っていただけあって、忍たまの五年長屋は本当にひっそりとしていた。
「いらっしゃーい」
「お、おじゃまします」
おそるおそる入った勘右衛門の部屋はすっきりと片付いていて、少し意外だった。
部屋の中をぐるりと見渡すと、部屋の両端にひとつずつ置かれている机の片方に花瓶にさした猫柳があるのを見つけた。
きちんと世話をしてもらっていたのか、猫柳はつやつやとして元気なままだった。
「ねぇ勘右衛門、猫柳全然枯れてないね」
「そうなんだよ、いつの間にか根っこが出てきたんだよね」
「飾っててくれてありがとう」
私にしてはなかなかの笑顔でお礼を言うと、勘右衛門は口を半開きにして固まってしまった。
「…ねぇ名前ちゃん!なんか、こう…ぎゅーってしてもいい?」
「えっ?えっ!う…うん…」
この間まで何の断りもなく抱きついてきたり尻をさわってきたりしていたくせに、こんな時だけ許可を求めてくる勘右衛門はずるいと思う。
顔が赤くなるのを感じながら小さく頷いて、勘右衛門が私の肩に手をかけたその時、唐突に部屋の障子がスパンと開いた。
「兵助…おかえり」
「ただいま」
兵助と呼ばれた忍たまは私に気がつくと、大きな目でこちらを見ながら腕を組んで何事かを考えているようだった。
とりあえず挨拶をしようかと思い私が口を開くと、それをさえぎるようにして彼は言葉を発した。
「勘右衛門は色んなくのたまと仲がいいんだな。この間の子と違う子だ」
部屋の空気が凍った。隣の勘右衛門の顔を見上げると、明らかにまずいという表情をして目を泳がせている。その表情を見た瞬間、私の中で何かがはじけた。
「この…ばかっ!」
そう叫んで勘右衛門に回し蹴りをすると、実習の疲れが残っていたのかもろに蹴りをくらった勘右衛門は力なく床の上に倒れふした。
私は兵助とかいう奴を睨みながら部屋を出て、それはもうすごい速さで自室へと戻った。
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