夜の道をあるくのが好きだ。
風が耳を冷やして、目には自然と涙の膜が張る。明日は雪が降るかもしれない。
星がちらちら光る。前を通ったスナックの中から酔っぱらいの歌がきこえる。

白菜と豚の鍋にしようと思ったのにかんじんの白菜がなかった。
人のまばらな店内をとろとろと歩き、目当ての品物をかごに入れる。
白菜にきのこに少しよくばってとりひき。ねぎはまだ家にある貝柱もある、あとは豆腐。
他に忘れているものはないだろうかと考えながら歩いていると、知った顔が目に入った。
ひんやりとした豆腐の棚の前で、商品を見比べている。真剣なまなざしすぎて、声をかけるのをためらうほどだ。

…久々知さん。
あ、この間の。

けっきょく見比べていた豆腐をふたつともかごに入れ、久々知さんは目を丸くした。
悟られないように、かごの中に目をやる。今入れたばかりの豆腐がふたつに、カップ麺がいくつか。それに、栄養ドリンク。
あまり料理はしないのかもしれないと、目の前でゆらゆらしている白い顔を見て思う。
どことなく所在なさげな久々知さんを尻目に、見切り品の豆腐をかごに入れる。

………あの。
あ、はい。
お名前聞いてもいいでしょうか。

少し間をおいてから、名字名前です、と答えると久々知さんはほっとしたように笑顔をみせた。そうか、やっぱり覚えていなかったのか。まあ当たり前のことだと思いつつ、表情をやわらげた彼と目を合わせてなんとなく笑った。
久々知さんは目を伏せて私の名前を何度かつぶやいてから、最後にしっかりこちらを見て名字さん、と私に呼びかけた。

はい、何でしょう。
この間のお礼もきちんと出来てないんで何か…ほしいものありません?
…今ですか?
…はい。
ここで?
はい。
…ほんとに?
本当です!

問いかけをひとつ重ねるたびに、久々知さんはゆるく握りこぶしをつくって力強く頷いてくれる。なんだかとても面白い。
本人としてはいたって真面目な気持ちなんだろうと想像すると、よけいに。
きょとんとする久々知さんの横でひとしきり笑ったあとしばらく考えて、トイレットペーパーとオリーブオイルを買ってもらうことにする。
ちょうど無くなりそうだったので大変助かりましたと伝えると、ひと呼吸おいてからなぜか久々知さんは大笑いした。どうやら私たちの笑いのツボはややずれているらしい。彼が笑うのに合わせて真っ黒な癖っ毛が揺れて、なんとなく実家の猫を思い出す。

押し切られるようにして荷物を持ってもらった帰り道に教わった久々知さんの家は、私の家から歩いて五分くらいの場所だった。


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