私は夜に目覚める。

目のふちから落ちる涙が皮膚を冷やし、ぴりぴりとした感覚に目を開く。
そうしてゆっくり起き上がり、ゆらりゆらりと揺れる頭を手でおさえ、足もとをみおろすと、目も眩む高さ。いつもの部屋が縦に伸び横に縮み、横に伸び縦に縮む。
私は夜の町をどんどん伸びてゆく。あれは私の学校。あれは友達の家。あれは駅。私はどんどん伸びてゆく。月にも手が届きそうなほどに。町を歩く人達は誰も私に気付かない。

こぼれ落ちた涙の粒が空中で弾けとんで町に雨を降らせる。ざあざあと音を立てて私の涙は落下する。
森に私の影が落ちている。両腕をだらりとぶらさげた、私の影。
風が耳元でかん高い笛のような音をたてて、右に左に、大きく私の体を揺らしている。倒れてしまわないように足の裏に力を入れて町を見下ろすと、とても細い路地を歩いている喜八郎が見えた。

おーい、おーい。

私の呼び声は獣のようなうなり声をあげて喜八郎へ向かっていく。草を倒し木を揺らし電信柱を揺らし、喜八郎に牙をむく。
ああ。こんな巨人になってしまっては、いつものように彼に呼びかける事すら難しい。せめてせめて、彼のところへ届くまでには私の声がそよ風にかわればいいのに。浮かんでくる涙がこぼれないように唇をきつくかんだ。ここで山のように立ち尽くす私に気付いてほしい。気付かないでほしい。気持ちはどっちつかずでふらふらと揺れる。

ゆるく波うつ髪を風に翻らせ、喜八郎は空を見上げた。彼の透明な瞳は星を見て、月を見て、その次に私を見た。喜八郎の口が大きく動く。

「ナマエ」

聞こえるはずのない喜八郎の声が確かに耳に届いた瞬間、私は急激な目眩に襲われ、町へゆっくりと倒れ込んだ。茫洋としていた体の感覚が隅々まで戻ってゆく。木々がざわめき、私は頭から町へ落ちていく。爪先が固い地面に触れ、ずっと閉じていた目を開けると喜八郎が私の体を支えてくれているのに気がついた。

「何してるの、こんな夜に、ひとりぼっちで」
「喜八郎…」
「もう大丈夫だよ、おやすみ」

次に私が意識を取り戻したのはいつもの自分の部屋のベッドの上だった。喜八郎。喜八郎はどうしていつも私の事を見つけてくれるの。
明日喜八郎に会ったらいちばん最初にそれを聞こう。その前に今日のお礼を言いたい。茫漠とした私の意識と体はいつも彼によって均衡を取り戻す。
おやすみなさい、喜八郎。私は暖かい暗闇の中で静かに眠りについた。