いきなりだが私は不眠症だ。今まではむしろ眠り過ぎと言われるような生活をしていたのだけれどある日を境にぱたっと眠れなくなった。
始めはなんとか眠ろうと色々試してみたがどうにも眠れないのであきらめて開き直り、前々からしてみたかった夜の散歩をすることにした。
私の住んでいる町は坂が多い。登っておりてを繰り返す町だ。毎晩坂を登っておりてをしている内にいくつかのお気に入りの場所ができた。
甘い匂いのする白い大きな花が壁いっぱいに咲いている家や広い庭のある日本家屋など。そして一番のお気に入りは急な坂を登りつめたところにある大きな公園だ。
町の一番高いところにあるその公園は町全体を見下ろせて、その端にあるベンチに座ってにじんだように光る町並みを見るのがここ最近の私の日課になっている。
しんみりと今までの自分の人生を考えたりこれからのやりたいことを考えたりと、いつの間にか夜の散歩が私の生活の中で1番大切な時間になっていた。
ところが最近この時間をぶち壊す闖入者があらわれたのだ。
そいつの名前は綾部喜八郎という。何故そんなことを知っているのかというと初対面の時に名乗ってきたからだ。
いつものようにぽーっとベンチに座っているとそいつはいきなり私の隣に座り、「綾部喜八郎」と言った。

「…はい?」
「僕の名前。お姉さんの名前は?」
「…ミョウジナマエ」
「最近いつもここに座ってるから気になってました」
「そ、そうですか」
「これからよろしくお願いします」
「あ、はぁ、よろしく…」

あまりに想定外な出来事に聞かれるままについ名前を答えてしまったうえにこれからよろしくとまで言ってしまった。
はっと気づいた時にはもう遅い、綾部喜八郎と名乗った少年はふら〜っとブランコまで行き、口をぱかっと開けたまま空を見上げ、ブランコをこいでいた。
どうも変な子に関わってしまった。とりあえず今日はもう帰ろうとそそくさと家に帰り布団に入った。眠れないけど。
次の日の夜は公園に行くのはよそうかと思ったがやっぱりいつもの習慣でふらふらと行ってしまった。
するとどこからか現れた綾部喜八郎が「こんばんはナマエ」と言いながら近づいてきた。げ。やっぱりいた。

「…こんばんは綾部くん…多分私は君より年上だからいきなり呼び捨てはどうかと思うよ…」
「じゃあナマエも僕の事喜八郎って呼んで」
「そういう問題じゃない気がするな綾部くん」
「喜八郎」
「…喜八郎くん」
「喜八郎」
「…喜八郎」

根負けした私が喜八郎と呼ぶと満足したのか、彼はそれ以上その日は私に話しかけてこなかった。
話しかけてはこなかったがなぜか私が座っているベンチの横で小さなスコップで土をほじくっていた。
それからも毎日喜八郎は夜の公園に現れ続け、少しずつ話していく内に私はだんだんと喜八郎のことを知っていった。
町内の高校に通っていることや、穴を掘るのがなぜか小さい頃から好きなこと、夜にこうして穴を掘っているので昼間の授業中は大体居眠りをしていること。
両親は仕事で海外にいるため1人暮らしをしていること。そして何故かすっかり私になついてしまった喜八郎は満足するまで穴を掘ると、
残りの時間はずうっと私にくっついてうとうとしているようになった。最初はやめさせようとしていた私だが途中でもういいやとあきらめ、
喜八郎をくっつけたまま思索にふけるのが近頃の日常である。そしてその日も私はふらふらと夜の公園に向かったのだが、珍しく喜八郎は公園に来なかった。
まあそんな日もあるだろうと気にしていなかったのだが、次の日もさらに次の日も喜八郎は来なかったのだ。
いつの間にか喜八郎がいる夜の公園が私の日常になってしまっていたらしくちっとも思索にふけることができない。
頭の中は喜八郎が病気になって倒れているとか事故にあってしまったとか嫌な想像ばかりだ。また今日も来なかったら家を探してみようと思いながら公園に行くと、
いつものベンチに膝をかかえて座っている喜八郎の姿が見えた。思わず走っていくと喜八郎は私にぎゅうっと抱きついてきた。

「喜八郎どうしたの?最近見なかったから心配だったよ」
「…僕も不眠症になってしまった」
「えっ」
「いつもは昼間学校で眠っていたのだけど眠れなくて」
「う、うん」
「夜にここに来ないで家で眠ろうとしても眠れなくて」
「うん」
「もしかしたらナマエにくっついてないと眠れなくなってしまったのかもしれない」
「そんなアホな」
「というわけで」

じゃじゃーん、とやる気のない声で喜八郎はぱんぱんに膨れたかばんを見せてきた。お泊まりセットだそうだ。
どこかに泊まるの?と聞くと、ナマエん家に決まってるじゃないと不思議そうに返された。えええ。

「それはさすがにダメです」
「ナマエなら眠れない辛さをわかってくれると思ったのに」
「わかるけどもね」
「じゃあお願い」

そう言ってじっと私を見る喜八郎の目の下にうっすら隈ができているのを見てしまっては断れるはずもなく、私は渋々喜八郎を家に連れ帰った。
まあ喜八郎なら間違いが起こる可能性は皆無であろう。家に来た喜八郎は猫のように目をまるくしながら家の中をうろうろし、
私の家の中で1番大きい観葉植物のヘゴの木の下で眠ることに決めたらしくその下に布団をしき、ぽんぽんと布団をたたいて私を呼んだ。

「では添い寝よろしく」
「どうしても〜?」
「だってナマエにくっついてないと眠れないもの」
「気のせいだと思うけどなあ」
「それにもしかしたらナマエも眠れるようになるかも」
「それはない」

ところが私に抱きついてまるくなる喜八郎は大きな猫の子のようで、寝かしつけようとやわらかい癖っ毛をなでているうちに
私は何ヶ月ぶりかわからないほど深く眠ることができたのだった。次の日2人とも寝過ごしてしまったのはまあよしとする。