水彩世界の終極より | ナノ



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「あ、あんた! この間の」
「その節は助かった。貴殿が居なければ私は朝方まで王宮の壁を蹴って下らなければならなかっただろうからな」
 
 見間違えるはずもなかったのだ。――あの夜に出会った“盗賊”の女だ。
 予期せぬ場所での再開に驚き、女の存在に驚き、その居場所にも驚いた。驚愕を隠せないままジュダルはただただ女を見る他なかった。それしか出来なかったと言えるのが正しいのかもしれない。
 
「あ、あんた……盗賊じゃなかったのかよ」
 
 辛うじて振り絞ることが出来たのは疑問の一つであった女の存在だ。
 ジュダルの発言に女は眉根を寄せたが、すぐに理解したらしく、再び口元に笑みを浮かべるのだ。鈍色の瞳はそんな笑顔に反するように爛々と光ってみえた。
 
「盗賊ではないよ、青年。私は此処に軟禁されていただけだ。どうも宴というものは性に合わないらしくてな。逃げ出した次第だ」
 
 軟禁と聞けば様々な憶測が過るものの、女はその可能性を総て否定出来る存在に思えた。奴隷のような足枷もないし、最上階の一室に居るのだから“訳あり”なのだろう。女があまりにも愉快そうに笑うのでジュダルは冷静を保とうと努めた。
 改めて見れば女は綺麗な容姿をしていた。濃い紫色の髪は一本一本が艶やかに光り、女の白い肌を強調させていた。控えめにある鼻も、少し薄いものの光沢のある唇も、切れ長の鈍色の瞳も、総てが女の容姿を美貌へと傾ける要因となっているのだろう。
 ジュダルは“訳あり”の存在から一転し、女はこの国の重役に違いないと考えることにした。以前に見た藍色の服とは異なった服装であるが、品のある滑らかな布は遠目から見ても分かる程であり、盗賊よりもどこぞの貴族か、この国の重役か、あるいは他国の姫と考えるのが妥当な気がしたからだ。
 女は立ち上がらなかったが、ジュダルをまるで歓迎するかのように中へ招き入れた。本来であれば抵抗するはずの場面で素直な一歩が踏み出せたのは、女が興味の対象であったことを改めて再認識したからだ。
 
「貴殿には以前の礼もある。本来はあの場で伝えるべきであったのだが、丁度良かった。私に出来ることがあれば何でもしてみせよう」
 
 ジュダルは目の前に居る女を見て唖然とする他なかった。
 女は今なんと言った? 出来ることならば何でもすると言ったのだ。
 驚いたものの、ジュダルはすぐに笑みを浮かべた。まるで今まで女に振り回されていたのを塗り潰すかのように、口元に笑みを浮かべて高らかに笑ったのだ。
 
「なら一つ、聞きたいことがある」
「なんなりと受け入れよう」
 
 ジュダルの笑みに合わせるように女は笑った。しかし、ジュダルの発言を聞いた刹那、女は浮かべていた笑顔を少しだけ崩すこととなるのだ。
 
「名前を教えろ」
「……そんなことでいいのか?」
「因みに名前だけだ。あんたの所属も、肩書も、地位もいらねえ」
「成る程な」
 
 ふむ。目の前の女は小さく頷いた。女にも何か感ずる所もあったのだろうが、敢えてそれを口にしようとしなかった。
 
「良いな。中々面白そうなことをするな、青年は」
「青年じゃねえよ。俺はジュダル。あんたは?」
「……エイダだ」
 
 女――、エイダはジュダルの思惑をどれだけ把握することが出来ただろうか。
 ジュダルを知る者に名を伝えれば、すぐにでも身元を知られることになるだろう。夜中と言えるこの時間にやってきた空飛ぶ絨毯に乗った男。煌帝国の神官でありマギと言う存在のジュダル。
 一方、エイダの存在も調べれば明るみになることは王宮の最上階にいることから察することが出来る。
 “名前だけ”だなんて、中々女々しいことを言ってしまったかもしれない。今更ながらジュダルは羞恥に駆られることになった。しかし、そんな気持ちと相反するように知ることの出来た女の名を胸中で反芻するのだ。
 再び会話を紡ごうと口を開くが、遠くから声が聞こえるので会話は中途半端な形で中断された。その声は次第に大きくなり、この部屋に向かっていることが分かる。ジュダルが無意識の内に半歩、その場で後ずさりをした。そんなジュダルの姿を横目に捉え、そう言えばとエイダはゆっくり口を開いたのだ。

「シンドリアの夜はいいぞ、ジュダル」
「……はあ?」
「風が優しいんだ。気候も暖かくて、夜はいつも窓を開けてしまうんだ」
 
 突拍子のない発言に驚くが、ジュダルが瞬時にエイダの言いたい内容を理解した。声の人物がもすうぐでこの部屋へやってくると言う時、ジュダルは絨毯を開いて窓から逃げるようにその場を去ったのだ。刹那、扉をノックする音が響き、エイダは和やかに声を上げたのだ。
 そんなやり取りを見て思ったのは、エイダがジュダルと少なからず似通った気持ちを抱いているということだろう。
 根拠がないけれど、確信めいたものがある。それが無性に嬉しく感じられたのだ。

優しい睦言の吐息
20150113
 
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