水彩世界の終極より | ナノ



記憶の海に揺蕩う君へ

 
 
 自分でも最近、よくシンドリアへ赴くことが多くなったように思う。理由は驚く程明確で、当初の目的でもあったシンドバッドのことは気づけば二の次になっていたのだ。
 
 “私はシンドリア国の武官だ”
 
 女――エイダはどのような思いで身の内を明かしたのだろうか。真っ直ぐとジュダルを捕えて離さない視線の先に何を見ていたのだろう。
 お互いの身分を明かさない。ジュダルはそう告げた。けれど、エイダはそれを踏まえた上であえて明かしたのだ。
 牽制なのだろうか。真っ先に考えたのはそのことだ。窓から訪問するジュダルの姿から考えてもシンドリア国の者とは考えられないだろう。事実、ジュダルは他国からやってきたと告げた。武官であるエイダはジュダルを警戒しなければいけないという意味を踏まえての牽制。けれど、別れ際にエイダはまた来ても良いと言い、笑顔を見せた。
 柔らかい笑顔だったように思う。眉尻を下げ、目元が緩んだ優しさのある笑み。桃を見た時は目を輝かせて口元に笑みを浮かべた。その表情と武官だと告げた表情はどちらが本当のエイダなのだろうか。
 ジュダルは頭を掻き毟った。憶測を並べた所で真意が分かる訳ではないことは重々承知の上なのだ。しかし、それでも考えてしまう。エイダのことを知りたいと願う自分が居るのだ。
 
「ちっ」
 
 やり場のない思いを舌打ちとして零し、籠の中に入っている桃に手を伸ばした。手の中の感触を確かめながら考えるのは今後のことで、武官だという告白を聞いてしまったことでジュダルは行動することが出来ていなかった。
 ジュダルが会いに行かなければエイダと会うことはない。武官だと明かした相手を前に自らの立場を明かすことが出来ない。
 煌帝国帝国神官・ジュダル。その名を聞けば否応なしにエイダは自らの武器をジュダルに向けるだろう。
 何事もなかったように忘れることが出来ればいいのに、無意識の内にでもシンドリアへ向かいたくなってしまう自分が居るのだ。正体を知られるのが怖いと感じたのはエイダが最初で最後のような気がするのに、なぜかその原因に検討もつかないのだ。
  
「面倒くせーな」
「なにが?」
 
 独り言として零したはずが、思わぬ相手に拾われてしまったようだ。ジュダルは気怠さを隠すことなくゆっくりと扉の方へ視線を向ける。
 そこには王族らしく煌びやかに着飾った煌帝国第八皇女である紅玉とその付き人である夏黄文の姿があった。
 
「覗き見してんじゃねーよ。ババア」
「なっ」
 
 一度噛み付けば反論が倍以上返ってくるのは承知の上であったが、それでもジュダルは口を閉ざすことが出来なかった。
 
「私はジュダルちゃんを心配して」
「ジュダル殿。またシンドリアへ行かれるおつもりですか」
 
 紅玉の言葉に割って入ったのは後ろに控えている夏黄文であった。二人のやり取りをいつもは静観しているだけの男がこのタイミングで口を挟んできたことに対して、ジュダルは無言で睨みつけた。いつも考えていることが手に取るように分かる男の心情を察してしまった自分が嫌で仕方ない。
 
「なんだよ。お前もか」
 
 煌帝国の中でジュダルがシンドリアへ足を運んでいると知っているのは一体何人居るのだろうか。直接告げたことはないのでもしかすればごく限られた人間だけなのかもしれないが、無機質な夏黄文の瞳がジュダルを責め立てている気がしてならなかった。まるで、自分が悩むことすら咎められているようで、行き場のない思いを吐き捨てるように舌打ちを零すしかない。
 
「私はただ、よからぬ噂を耳にしまして」
「はあ? 噂ってなんだよ」
「それがシンドリア国の国王に姉君が居るそうなのです。シンドバッド王に並ぶ実力者らしく、」
 
 言葉を濁した夏黄文の言葉を繋いだのは紅玉だ。
 
「もぅ、しっかりなさい夏黄文。……簡単に言うと、私たちはジュダルちゃんが心配なのよぉ」
 
 真剣な表情を浮かべる二人を見比べてジュダルは手に持ったままの桃を落としそうになった。
 確かに、シンドバッドに姉が居ることは初耳だ。本人はそのようなことを明かしていなかったし、ジュダル自身シンドバッドの家族関係に興味はなかった。――しかし、他国にまでその姉が噂として流れてくることを考えればかなりの実力を保有していることになる。ジンの金属器使いなのだろうか。あるいは高位の魔導士か。いずれにせよ警戒すべき敵であるのは明白だ。
 ただ、二人の考える矛先がジュダルの考えていた内容と全く異なったものであることに唖然とする他なかった。強者がいることに対しての心配だと知り、気恥ずかしさが遅れて襲ってくる。
 
「バカ殿の姉だかなんだか知らねーけど、俺が負ける訳ないじゃん。マギだし」
 
 恥ずかしさを紛らわすように大声で怒鳴った後、手にある桃に齧り付く。甘い汁が腕に伝うのを舌で舐めとりながら新しく知ることになったシンドバッドの姉について考える。二人からの補足説明を追加すると、基本的にシンドリア国へ滞在せず様々な国と外交し国益を増やしているらしい。ただの外交であれば噂はただの噂で終わるだけに、実力は確かなものなのだろう。
 強者と聞けば好奇心から相手の実力について知りたくなるが、シンドリアに留まっていないなら出会うこともないだろう。目の前に居る二人はジュダルがシンドバッドと出会っていると思い込んでいるようだが、実際は違うのだ。

「つーか、バカ殿に会いに行ってる訳じゃねーし、早々に接触しないだろ」
 
 ジュダルの中で姉弟のイメージは練白瑛や白龍のような関係性だ。シンドバッドにもシンドリアへ赴いていることが知られていない今、接触するという方が無理な話だ。王宮の中を歩いている訳でもないし、ジュダルの知るシンドリアの王宮内は簡素な一室だけなのだから。
 あっけらかんと言い切ったジュダルは目の前の二人は目を見開き驚く姿が理解出来なかった。しかし、紅玉の一言によって、自分が取り返しの付かない失態をしてしまったことに気付くのだ。
 
「ならジュダルちゃん。あなたは……一体誰に会いに行っているの?」
「!」
 
 つい軽はずみで違うと否定してしまった。二人の目付きが険しくなるのを感じてジュダルは知らず知らずの間に小さく息をのんだのだ。下手をすれば紅炎にまで話が伝わってしまう。そうすればジュダルがどれだけ望もうが、エイダと会うことは出来ないのだ。
 
「あいつは俺の――」
 
 エイダ、と、口の中で女の名を呼んだ。名前を聞いた時、桃を見て驚き嬉しそうに綻んだ時。ジュダルは自分の胸の内が温かくなる感覚を覚えていた。煌帝国のことを聞かれた時はらしくもなく饒舌に語ったような気がする。
 ただ、シンドバッドを前にした時、ジュダルはすぐに“組みたい相手”と答えることが出来るのに、エイダを前にした時の自分は何も答えを持っていないことに気付く。
目の前の二人に説明しようがない気持ちを本人であるエイダの前でどう曝せばいいのだろうか。
 
記憶の海に揺蕩う君へ
20150203
 
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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