誰がためにルールは変わる 






ミラーに映る彼は、至極深刻そうな顔で、手元の冊子を見つめていた。表紙に『生徒心得』と書かれた薄っぺらいその冊子が、現在の彼の悩みの種だ。眉根に深々と皺を刻み、何事か思案している。
「まあまあ。そんなに考え込まなくって…」
「…」
声をかけても、彼の空色の瞳は曇ったままだ。そんな彼を見て、俺の後ろに座る我が甥は、やや苦笑していた。
「そんなに想われて、幸福者ね、青年」
「おー、おっさんとは違ってな」
俺は苦笑して、ゆっくりブレーキを踏んだ。目の前の横断歩道を人が歩いていく。空は曇天。雨は降りそうで降らない、中途半端な灰色の曇り空だった。
今日は、甥の高校の仮入学だった。ユーリは、俺の姉の息子だ。
姉は、息子───ユーリが7才くらいの時に、病死した。末期ガンだった。ユーリの父親は、ろくでもない男で、ユーリが産まれて数ヶ月後に、姉は男と離婚した。今では、消息もわからない。
だから、身寄りのないユーリを俺が引き取ったのだ。本人いわく、『オレがおっさんに面倒みてもらってるってより、おっさんの面倒をオレがみてるって感じがするんだよな』と言われたが…姉は優しくて、しとやかな女だったのに、何でこんな口の悪い子供を授かってしまったのだろう。
信号が青に変わる。ゆっくりと走り出す車。俺は後部座席の二人に話しかけた。
「ていうか、女子、少ないわねぇ…野郎ばっかなんて…メランコリーなスクールデイズになるわよ…」
俺は説明会の時の学ランだらけの状況を思い出して、ため息をついた。かわいい女子がいないかと、少し期待していただけに、落胆は大きい。何しろ、全体の7割が男子だ。元は男子校だったらしく、その名残らしい。
「オレと、おっさんの思考回路は、月とすっぽんなんだよ。一緒にすんな」
ユーリはどこまでもツンと突き放す。俺は再度思う。『コイツは本当に俺の姉の子供か?』と。
ユーリの友人、フレンもユーリと同じ私立高校に入学する。といっても、ユーリは成績ギリギリで、この高校の普通科しか通らなかっただけ。フレンは成績優秀なので、この高校の特別進学コースとやらに入るらしい。
どうせ同じ高校の説明会なら一緒に行った方がいいということで、忙しいフレンの両親の代わりに、俺がフレンを送迎することになったのだった(提案者はユーリ)。
仮入学は物品の購入と説明が主だった。校長や教頭のながったらしい演説的な説明なんて、俺はもちろん馬耳東風。早く終わらないかとずっと思っていた。ちなみに隣のユーリは、半分寝かけていた。
しかし、生徒指導を担当している教師からの諸注意の時は違った。そうだ、これこそが一番の問題なのだ。
「本校では、服装の乱れの矯正に、力を入れております。染髪、ピアス等のアクセサリー類はもちろん禁止です」
壇上に立つ教師は、たしか、そんなことを抜かしていた。今どき珍しい、七三分けに眼鏡をかけた『いかにも』な教師だ。メガネのブリッジを何度も押し上げて、神経質そうな教師は、こう続けた。
「女子の長髪は、肩につくようであれば、髪を結ぶように。男子の長髪は禁止。短く切ってください」
壇上にたつ教師が、一瞬こちらを見た気がしたのは、気のせいだろうか。
「もし破れば、そちらの資料にあるような処置をとらせていただきます。最悪の場合、停学などもあります故、くれぐれもご注意ください」
「──…」

隣で寝ていたはずのユーリが、困ったような顔で自分の髪を摘まんでいた。
ユーリはどちらかといえば、母親似だ(外見限定で)。例えば、男にしては白い肌や、長身で細身な体などがそうだ。
そして何より、麗しい黒髪。くせが本当に少なく、後ろから見たら女と見紛うくらいだ。
ユーリの母親───つまり俺の姉は、大和撫子という言葉が相応しい、整った顔立ちをもっていた。しかし姉の一番のチャームポイントは、綺麗な黒髪だったと俺は思う。腰まであった、絹糸のような髪は、動く度にさらさらと揺れて、彼女の魅力をより一層ひきたてていた。
ユーリは、母親によく髪を褒められていた。だから、成長した今も尚、黒髪を伸ばしている。マザコンという訳ではないが、母への憧憬と愛情は、今なおユーリの胸に息づいている。その表れが髪なのかもしれない。手入れはある程度しているようだ。
しかし、前に一度、ユーリが髪を切ろうかと、俺に相談してきたことがあった。まだ夏の名残が残る、彼岸の頃だったと思う。ちょうど、姉の七回忌を過ぎた辺りだ。
「なあ。髪切ろうと思うんだけど」
唐突にユーリは言い出した。俺は新聞から顔を上げた。
「なんつーか…暑いしさ。鬱陶しい。バッサリ、いっちまおうかと思うんだけどね」
ユーリは、毛先を摘みながら言った。
今思えば、あの時、ユーリは自分の中の母親と決別しようとしていたのだろう。いつまでも母の面影を追っていてはいけないと、自分なりに蹴りをつけたかったのかもしれない。だが、当時の俺はそれに気付けなかった。
「イメチェン?らしくないわね。まあいいわ。行っといで」
俺はそんな言葉と共に、数枚の紙幣を渡した。渡してしまった。
しかし、ユーリは髪を切らなかった。ユーリの断髪を、引き止めた人物がいた。
ユーリの友人、フレンだ。何でも、フレンは本当に嫌がって、ユーリを必死に説得したらしい。それならば、とユーリも切るのを止めた。
それ以来、ユーリは髪をバッサリ切ろうとはしない。猛暑の日は鬱陶しいと愚痴るが、結うだけで終わり、髪を切ったら?なんてすすめると、とたんに眉間にシワを寄せて機嫌が悪くなる。髪を切るなんて、ユーリの中では選択肢にないらしい。未だに髪の手入れを怠らないのも、もしかすると、親友のフレンのためなのかもしれない。
だが、今度は切らない訳にもいかない。校則で男子の長髪は禁止されている。くわえて、破れば厳罰だ。
───親友の長い髪は好きだけど、校則は守らなくてはならない───フレンは自分のエゴと、大事なルールの間で、板挟みを食らっているのだ。
「結うだけじゃ駄目なのかねぇ…」
「ポニーテールみてぇに結んでも、オレの場合は肩につく。から、やっぱ切らねぇと駄目だな」
「うーん…たしか、一回目がその場で注意、二回目以降は保護者に連絡or召喚で、六回目くらいになると停学…だっけ?」
「『生徒心得』にはそうあるみたいだな」
受付の時にもらった、資料を手にとってユーリがいった。俺はため息をつく。
「別に呼び出されても構わないけど、停学はさすがになぁ…」
「髪くらいで停学とか、サイコーじゃん。学校行かずに済むんだからよ」
「その後が大変なのよ。別室謹慎、書類提出、周りの目とか…」
「そんなのどうとでもなるって」
「…でも、勉強、わかんなくなって、ダブったらどうすんの?」
「それは………フレンがいるって!!なっ、フレン?」
ユーリがポンと隣のフレンの肩に手を置いた。
「………そうか!!」「「え?」」
それまで黙っていたフレンが突然さけび、思わずポカンとする。何が、『そうか』なの?
「僕が生徒会長になればいいんだっ!!」
「へ?」
訳がわからない。何で生徒会長の話が出る?何でそんな野望を打ち立てる?
「ユーリ、髪は切らなくていいから。とりあえず、肩につかないようにまとめて、登校すればいいから!」
「え?あ?」
先ほどとは違い、キラキラと光る碧眼。嬉々とするフレンの手を両肩に置かれ、唖然とするユーリ。まったくもって、話が通じていない。
「………フレンちゃん、どったの?」
「ユーリの髪、切らなくていいんです。───この学校、生徒会長の権限が結構強くて、校則くらいなら、簡単に変えられるんですよ、レイヴンさん!!」
「は、はぁ…」
「その分、選挙は厳しいんですけど………でも、これしかありませんから。…絶対、今年度中に生徒会長になってやる…!!僕、頑張るからね、ユーリ!!」
「………」
キラキラ光って、ユーリを見るフレン。
「だから、切らないでね?せっかく綺麗な髪なんだから…こんなに長いんだから、切っちゃ駄目だよ?」
「…わかった。………ありがとう」
少し照れた様に、ユーリが礼を言った。珍しく、照れ隠しの素振りも見せず、微笑んだ。フレンもそれに満面の笑顔で頷く。
「うん。選挙までのしばらくの間は、我慢してね、ユーリ」
「ああ、そこは大丈夫。頑張れよ、フレン」
後部座席で繰り広げられる、美しき友愛の物語。
………ああ、眩しいなぁ、青春だねぇ…。
ハンドルをきりながら、俺はもだえ休んだ。





誰がためにルールは変わる
(全ては友のために)









▼ということで、500hitお礼文です!お礼文なのに、無駄に長くてすいません…




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