※黒子っちにょた
恋は砂糖菓子のように甘くてふわふわしていると本で読んだ。好きな人のことを考えるだけで胸が高鳴り、その人を自分に縛りつけておきたくなるとも。あと辛くて悲しいとも。
それを読んだあと自分には「恋」は無縁だとただ思った。
「くーろこっちー!」
後ろを振り返ると満面の笑みをした黄瀬が自分に突進してくる。はっきり言って嫌だ。周りへの迷惑が多大だし、黄瀬の取り巻きに見つかったらなんと言われるか。
「会いたかったっスよー黒子っちー」
「たった2日会わないだけで何言ってるんですか」
腰に抱きつく犬のような彼を見て溜め息をつく。一応自分も生物学上女なのだが彼にはデリカシーというものがないのだろうか。
「…あの、黄瀬君」
「なんスか?」
全く悪気のなさそうな声色に表情の黄瀬。故意で行っているのか、それとも純粋に行っているのか。悪気がなさそうに見える分言うのも少し気が滅入る。
「出会い頭に抱きつくのはやめてくださいっていつも言ってますよね?」
「だって黒子っち大好きなんスもん」
絶句。もちろん冗談だということは分かっているがそれを抜いても文脈がおかしいし反省している様子も見られない。怪訝な顔で黄瀬を見つめると黄瀬は怒んないで黒子っち、ごめん、ごめんねとしきりに謝ってきた。
「うーん…なんて言えばいいんスかねー」
考え込んでそのあとあ、と声をもらす。ひらめいたらしい。
「黒子っちってふわふわしてるんスよ」
急にそう断言されて疑問を頭に浮かべる。黄瀬自身も自分でぴんと来ていないようで、また悩み始める。
「なんて言うんスかねー…黒子っちって影薄いし誰にも捕らわれてないっていうか…目離したらどっか行っちゃいそうで」
そう言われてもあまりピンとこない。もういいっスよ、これは俺だけ分かってればいいっス、なんて言ってまた抱きついてきたから諦めてそれに従った。
彼は、真っ直ぐだと思う。少なくとも自分には何事にもひたむきに、真摯に取り組んでいるように見える。だから彼は嘘をつかない、と思う。彼の自分に対する思いは何か特別なものなのだろう。
でも自分は彼に対して特別な「好き」の感情は抱いていない。彼はいい友人だし、バスケプレーヤーとして尊敬に値する人間だと思う。でも言ってしまえばそれだけだ。他のみんなだってそうだ。みんな自分を良く思ってくれているのだと思うけれど、自分はそれと同じくらい大きな思いを返しているかと問われたら何も言えない。彼らに恋をしたいとかそういう訳ではないけれど、いっそ恋でもできたらこんな気持ちにならないのだろうか。
「テツナ」
黄瀬と別れ自販機の前で何を買うか悩んでいたら赤司がこちらに向かってきた。
「赤司君」
「さっき涼太に抱きつかれてたね。随分となつかれたものだ」
「見てたなら助けて下さいよ…」
自販機にお金を入れてお茶を買う。どうぞ、と赤司に言うとありがとうと返ってきた。
「で、テツナはそんな顔して悩んでいたんだい?」
え、と声をもらす。すると赤司はただ飲み物を選んでいるような顔じゃなかったと言った。
「…いえ、そんなに重要なことじゃないですし、私事ですから」
「そんな言葉で僕が引き下がると?」
赤司から放たれる話せ、の雰囲気に負けた自分は、仕方なく先程の考えを包み隠さず赤司に話した。
「…ふうん、そんなこと考えてたのか」
「別に答えを求めている訳じゃないのでどうでもいいんです。ほら私事でしょう」
じゃ、と身を翻して戻ろうとしたらテツナ、と名前を呼ばれた。
「テツナは僕が好き?」
唖然とした。何も出てこない。どのように話の流れを理解してその言葉を出したのだろうか。理解に苦しむ。
「え、あ、好きですけど、」
「恋愛感情として?」
そう続けられ体が固まる。赤司を、恋愛感情として好きなのか。唐突にたずねられて分かりませんと答える。だって自分は生まれてから一度も恋というものを体験できたことがない。たとえ赤司に対する「好き」が恋愛感情であったとしても自分がそれに気づく術を持っていない。
「僕は好きだよ、君のこと」
え、と思わず出てしまう。彼は冗談でそんなこと言わない。黄瀬のように軽く流してはいけないことも分かっている。どうすればいいか分からずしどろもどろしていると赤司が続けた。
「僕は恋を経験したことがないよ。だから好きという感情も理解できない。君と同じだ。でも何故、君を好きだと言ったか分かるか?」
ぶんぶんと首を振る。すると赤司はふ、と微笑んで自分の髪に触れた。
「僕は君に恋をしたい。君に触れて、君を愛して、そしてできるなら君に愛されたい。僕は恋を知らないけど、恋を知りたいとは思っているよ。周りからすれば不思議なんだろうけど、僕はこの気持ちが大切で尊い。これも「好き」って気持ちだと言えないかな?」
言われた瞬間すとんと心に収まった。
自分は、羨ましかった。黄瀬のように、みんなのように、しっかりした思いを誰かに向けていることが。どんなにぎこちなくても不器用でも、それを伝えていることが。自分には出来ないその行為が、羨ましかった。
「テツナ?」
自分が固まっていたから赤司は心配そうにこちらを見る。そうか、もしかしたら。確信めいたそれを赤司にたずねる。
「君も、同じですか」
愛するということが分からなくて、でも愛されたくて。でも本当に愛されたらどうしていいか分からなくなる。他人に必要とされたくて、必要とされたくない。
「…そうだね」
赤司は一度驚いたような顔をしてこちらを見たが、すぐに苦笑したような、悲しそうな表情をして言った。ああ、自分だけじゃなかった。置いて行かれるような、寂しいようなこの気持ちを知っているのは自分だけではなかった。
「赤司君」
自分は、恋を知らない。
でも、恋をしたい。
自分と同じような境遇にいる彼が、自分に伝えてくれた。まだ恋とは言い難いかもしれないけど、ちゃんと自分の気持ちを伝えてくれた。
「私も、君に恋をしたいです」
やっぱり好きという感情は分からないけれど、でも大丈夫だ。そんなに焦らなくても良いのかもしれない。あんなに考えていたのに、もういいかって、いずれ分かるかなって、そんな気持ちになる。
「…ありがとう、テツナ」
このふわふわとした温かい感情が、大きくなるのはそう遠くないかもしれない。
恋を知らない僕達は