両親が死んだ。 ひどい事故だった。
変な管と包帯まみれになったその腕に、私がまだ触れぬうちに、二人は死んだ。
同じく包帯まみれの私はただ、訳の分からぬままぼんやりと二人の前で立ち尽くすしか、できなかった。
黒いワンピースに身を包んで、知らない人たちの話しを聞く。お金が、家庭の事情がなんだと言っているのを、二人の写真を抱いて後ろを向き、静かに聞いた。あまり気持ちの良い雰囲気ではなかったが、じっと待った。
「ここが、あなたの新しいお家よ」
(おひ さま……読めない)
おばさんに手を引かれて着いたのは、私の家よりうんと大きなお家だった。 中に入ると「お待ちしておりました」と知らない人がやってきて、おばさんはパッと私の手を離す。それから、「それじゃあよろしくお願いします」とだけ言って私と荷物を置いて、帰って行った。
そういえば、おばさんは手を離した後、枷が外れたような顔をして帰っていった。
(……夢)
電子音が鳴る前に目が覚めた。久しぶりの嫌な寝覚めに、思わず舌打ちが出る。もぞもぞと布団から這い出して、朝食をとるために自室を出た。
そんなに遅い起床でもないのに、リビングには誰もいなかった。多分みんなサッカーだろう、ここのところおかしなニックネームと奇抜な服装で毎日サッカーをしているから。
パンをトースターに突っ込んで、外が見える席に腰掛ける。みんながわあわあ言っているのが微かに聞こえて、一人だけ保健室で休んでいるみたいだと思った。 私も始めの二、三回練習に参加したけれど、元々浮いていたのと協調性の無さで、駄目だった。もういい歳だから、寂しいとかは思わなかったし、みんなの足を引っ張るのなら、これで良いと思う。
パンが焼けた。少し焦げていて苦そうだったので、バターとハチミツをどろどろどろと目一杯かける。
「……なまえ?」 「おはよう、茂 ……ヒ、ヒート?」 「茂人で構わないよ」
自分しか屋内にはいないと思っていたから、少し驚いた。けほけほと弱々しく咳をする彼は風邪でももらってきたのだろう。昔から身体が弱かったから。
「……食べる?」 「いや、それはいいかな」
てらてらと日の光を浴びて飴色に光るどろどろのパンを半分差し出すと、やんわり断られた。普段から誰かと多く喋ることもないものだから、こういう二人きりの雰囲気は好きじゃない。 ぼうっと窓の外を見つめる、彼の前に無言で座って朝食をとっているのがどうにも落ち着かなくて、思わずガタンと音をたてて立ち上がってしまう。
「どうしたの」 「……飲み物」
別段喉は渇いていなかったけど、紅茶でも煎れようかと湯を沸かす。ばれないようにちらりと茂人を見ると、けほけほ咳をしながら、まだぼんやり外を見ていた。ぽこぽこと湯が沸騰した音がしたので、目線をポットに戻して紅茶を煎れる。
「……ん」 「なにこれ」 「毒は、入れてない。ハチミツと、生姜だけ」 「くれるの?」 「……風邪に良いと思う」
お礼を言いながらマグカップを受けとってくれた彼にホッとする。喋らないし、非協力的で変な奴だと周りに腫れ物のように扱われているから(それでも皆優しく話しかけてくれるのだから、ありがたい)、拒絶されるかもと心配だったのだ。もう一度向かいに座って、彼がそれに口を付けるのを、じっと待つ。
「おいしい」 「……それはよかった」 「優しいんだな」 「別に、普通だと 思う」 「……そうだな、昔から優しい」
思い出した、と彼が笑う。何を思い出したのだろう、なぜ私が優しいと、彼は思うのだろう。
「昔さ、よく俺が寝込んでるとき、これ作ってくれた人がいた」 「……」 「夜中に俺の部屋に入ってこれ置いて、小さな声で『早くよくなりますように』って言って」
大事なものに触れるように、マグカップを両手で包んで、彼は話を続けた。私はハチミツを吸ってふやけたパンを口に運ぶ。無心で、運んだ。
「一度捕まえようとしたんだ、逃げられたけど」 「……それは、残念だった」 「声なんか滅多に聞かないから、分からなかったんだ」
パンを口に運ぶ手が止まる。止められたのだ、彼が手首を掴んでいる。
「……つかまえた」
「人違いだと思う」 「なぜ?」 「……そんなに優しくない」 「嘘だ」 「本当」
「みんなにも、そうしていたのに」 「優しくないなんて、嘘だ」
「……それはきっと」
彼の目が私を真っ直ぐに捕らえている。じわりと嫌な汗が吹き出てくるのが分かった。私は言い逃れることばかりを考えている。誰の名を出せばいいのだろう、可愛いあのこか、リーダーシップのとれるあのこか、芯の強いあのこ。
「俺たちが嫌い?」 「それは、ない。断じて」
突然の質問に慌てて首を横に振る。そんな、滅相もない。こんな私にも優しいみんなを嫌うなんて、たとえ地球が爆発したって私はみんなを好きでいる。
「じゃ、なんで喋らないの?」 「……」 「みんな仲良くしたいって、思ってる」
「……こわい」 「どうして?」 「仲良くなったら、居なくなってしまうのが怖くなる、辛い」 「うん」 「……一度触れたら、次はいつ拒絶されるのかが不安で堪らない」 「……うん」 「手を握ったら、消えちゃいそうだから、嫌」
彼は静かに聞いてくれた。 本当はあの日、触れなかったことに後悔しているのだ。触れたかった。まだ温かいうちに、二人の体温を思い出せるように、手を繋ぎたかった。
「……だから、ひとりでいい」 「それは嫌だ」 「……」 「俺はなまえと仲良くしたい」 「でも、」
「ずっと一緒にいるよ、拒絶も消えたりもしない」 「……嘘」 「嘘じゃない、約束する。……それでも駄目?友達になれない?」
彼と目が合う、笑っていた。思わず逸らしてしまう。なんでこんな面倒な女に、そこまで約束してまで関わりたいのか、私はよく分からない。私だったら丁重にお断りしたいのに、おかしいよ。
「……駄目、じゃない、嬉しい」
それでも彼の手をとってしまった私はハチミツと彼の優しい甘さに、とろけてしまったのだろう。もう一度彼を盗み見ると、先ほどより楽しそうに笑っていたので、私も嬉しくなって久しぶりに、笑った。
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