八十年前に行くとかなんとかで、成績上位者何名かだけが召集された。過去を変えに行くのだそうだ。ミッションの説明を受けて、今日は解散だった。前の方で聞いていたものだから分からなかったが、帰り際に当然いるもんだと思っていた奴が、どこにもいなかったことに気が付いた。
「おい、いるのか」
ゴンゴンと乱暴にノックをする。何度叩いても応答がないので、扉に手をかけてみると、開いた。パスワードもセキュリティも全て解除されていたようだ。無用心な、とため息をはいて部屋の中へと歩を進める。
この部屋の主は癇癪持ちである。どうせ今回の召集に関しても、選ばれなかったことを不服に思って暴れて部屋中ぐちゃぐちゃなんだろうと予想して見に来たが、それを覆して電気も点けていない部屋はしんと静まり返っていた。嵐の前の静けさのようで気味が悪い。
「なまえ、返事くらいしたらどうなんだ」
玄関を通ってリビングまで到達すると、すんと鼻を啜る音がした。部屋の中央に置かれた馬鹿でかい革のソファからである。 電気を点けて近付くと、死人のように顔にタオルをかぶったなまえがいた。食いつかれたりはしないかと、慎重にタオルを除けると、いつも通り表情一つ変えない彼女の顔が現れる。
「……メルちゃん」 「バメルだ」
起き上がったなまえにいつものようにカンに障る呼び方をされ、それを正す。ただ一つ普通と違うのは、彼女の頬に泣いたあとがあることくらいだ。
「泣いたのか」 「ううん、涙を流したの」 「それを泣いたと言うんだ」 「……しゃくり上げたりしていないから、ただの生理現象」
相変わらずの減らず口であったが微かに震える肩を見て、そうかとだけ言う。あまりつついて、また隣の自分の部屋まで貫通する大穴をあけられても困る。
「……メルちゃんは、行くんでしょ?」 「ああ、あと、バメルだと何度言ったら分かる」 「ふうん」 「お前はなぜ行かないんだ、成績も申し分ないだろう」 「女は駄目だ、行けない。って教官に言われた」 「……そうか」 「うん、そう。女は駄目なんだって」
それだけ端的に言うと、なまえは口を閉ざしてしまった。言葉の代わりと言わんばかりに、彼女の目からまた涙が零れる。喋れないのだ、唇を噛んでしゃくりあげるのを我慢しているから。 それに気付いたところで、俺にはフォローや励ましのスキルなんか備わっちゃいないから、持て余していたタオルで、そうっと頬を拭ってやる。怒るかと思ったが、静かに目を閉じただけだった。
「……我慢しなくても、誰もいない」 「メルちゃんがいるよ」 「俺も、見なかった」
過酷な訓練だろうが 周りの生徒に「女の癖に」と罵倒されようが、揺らぐことも、標的以外のなにものも捕らえることのなかった瞳が、涼しげだった表情が、みるみるうちにゆがんでゆく。
「だ、だって メルちゃん、悔しい」 「そうだな」 「私も、頑張れるよ、強いよ」 「知ってるよ」 「女の子、駄目だって」
男の子がよかったなあ。
そういってなまえはいよいよぐずぐずと泣きはじめてしまった。俺は彼女が何より羨む「男の子」であって、その悔しさは到底理解し得ない。だから、一友人として震える彼女の背中をなるべく優しくさすってやることしか、今はできないのだ。
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