beside


読んでいた書類から、ふと視線をあげる。
慣れてきたとはいえ、ただ文字列だけを追う作業は単純だからこそアイオロスはどうも苦手だった。元々、デスクワークなどより体を動かすのを好むとなれば尚更のことである。
深く息をつきながら、小さく伸びをする。
そのついでに、視線を横にずらせば視界に入ってくる彼の姿に自然と肩から力が抜けた。
わずかに間をあけて座るシュラの視線の先はアイオロス、ではなく一冊の本に注がれている。
休日ということもあり、自分とは真逆にリラックスした様子で本を読み進める恋人の横顔を、何とはなしに眺める。よほど集中しているのか、アイオロスの視線に気づく様子もないその表情は無防備の一言につきる。
どちらかと言えば気を張っていることの多い彼が自分の前では気を許してくれているのが嬉しい反面、反応がないのが少し…いや、かなり寂しいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。
だからといって、いらぬちょっかいを出すほど大人げなくはない、つもりだ。
カサリ、と紙の捲られる微かな音の合間に時計の秒針が静かに響く。
規則正しいその音にともすれば眠ってしまいそうになりながら、アイオロスは口元がだらしなく弛むのを止められずにいた。
会話するでもなく、恋人らしく寄り添うわけでもなく。ただ、同じ空間に在るというだけ。
それだけでも、十分すぎるほどに心が満たされていた。

この、緩やかに流れていく時間が。こうして彼の傍にいられることが。
「今」という時間が、数えきれないほどの奇跡と偶然のもとにあると知っているから、一秒一瞬でさえも愛しく、手放したくないと強く望んでしまう。

一時は全てを捨て諦めた身だからこそ…などと思うのは些か感傷がすぎるだろうか。
手を伸ばせば触れられる位置にいるシュラの穏やかな表情を捉えたまま、ゆるりとアイオロスは瞬いた。
彼の存在を傍に感じるだけで、こんなにも心が満たされるのが不思議だった。ぬるま湯に浸かっているような心地好さ、とでもいうのだろうか。いつまでも包まれていたくなる、そんな居心地のよさ。
もちろん、シュラの声を聞きたいと、触れたいと――あわよくば、その先の行為もと思うのもまた事実なのだけれど。「今」この時は、こうして傍に在るだけで十分だった。
幸福の余韻を噛みしめる為、アイオロスはゆっくりと瞼を下ろした。









シュラが、一心に読みふけっていた本から目を上げると太陽はだいぶ西へと傾きはじめていた。
大きく伸びをしながら体を解せば、長時間同じ姿勢でいたせいか固まっていた筋肉がわずかに悲鳴を上げる。
具体的な時間を知ろうと視線を動かせば。

「…まったく、しょうがない人だ」

すぐ隣のアイオロスの寝顔に、無意識の内に目元が和む。苦笑いを浮かべた表情は、けれど同時にどことなく甘さを孕んでいることに本人は気づいていない。
書類と自身の腕を枕に居眠りするアイオロスの顔は何故だかシュラの方に向けられていて。穏やかな寝顔は、不思議とあどけなく実年齢より幼くみえた。
あまりにも無防備なその様子につい毒気を抜かれ、起こそうと伸ばされたシュラの手が途中で止まる。こうも気持ち良さそうに寝られては、起こすのがあまりにも忍びない。
代わりに、伸ばした指先でアイオロスの柔らかな前髪を掻き上げると、

「――よい夢を、アイオロス」

露わになった額に一つ、唇を落とした。
ただ一瞬だけ肌に触れる、そんな行為にさえ胸の内が暖かく充たされるのがシュラ自身でも不思議だった。
いくら暖かいとはいえ、まだ春先。アイオロスに何か掛ける物を持って来ようかとソファから立ち上がる。
寝室へと足を向けながら、アイオロスが起きたらどうしようか、と思いを巡らせていたシュラはふと脈打つ心臓へと右手を当てた。
平和に、緩やかに流れていく時間。少し前までは想像もしていなかった「二人」で過ごす時間がもたらす、暖かな感情。
「あぁ、そうか」


「――これを「シアワセ」というのか」


ぽつり、と漏らされた言葉は静かな室内に、彼の中にゆっくりと沈んでいった。






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