07

個室から文字通り”化けて”戻ってきた志津達に、その場の一同は納得顔になった。

「……確かに、似合いますね」
「似合うな」
「ああ、見立て通りだ」

それぞれに、頷いたり感嘆の息をもらす。飛翔に至っては惚けてしまっている。

「どうしたらあの平凡からこんな傾国の美女が出来上がるんですか! 替え玉なんじゃないでしょうね!」
「そんなことして何になるっていうの…」

美女から漏れ出る男の声に、一同が夢を壊されたというような顔をする。飛翔も意識を取り戻したようだった。

「なんだその顔、え? 俺が悪いの?」
「やるなら徹底的に、声もきちんと裏声にしてくださいよ」
「ではご要望にお応えして、声を変えさせていただきますわね」

にこり、と笑って櫂兎から発されたのは、艶やかながらすっきりとして伸びる、その姿にぴったりとでもいうようなまさしく『女性の声』だった。
覆面官吏の中でも声色を変える人は少なく、ましてや女性の声を理想そのまま出す事は無理に近かった。それをすんなりとやってのけた櫂兎に志津と楊修は目を点にする。

「もしや、彩雲国史初の両性類……」
「あなたたまに本当馬鹿になりますよね。声帯が特別で出せる音域が広いと考えるのが妥当でしょう」
「いやそれでも凄いですよねぇ。あんな声帯が欲しかったです」

羨ましそうにつぶやく志津に、楊修は呆れをにじませた顔で言った。

「あなたもう覆面官吏じゃないんですから。あなたに与えられるくらいなら私が貰います」
「いや、そんなほいほいあげられるものじゃないから!」
「冗談ですよ」

櫂兎の言葉に、そう返して微笑んでみせる楊修だったが、その目は本人から取り外してでもくっつける気でいるような目に見えた。櫂兎は苦笑する。

「声を変えている、っていっても、別に声帯を男女に切り替えているんじゃないんだから、これは違って聞こえているだけだよ。そう聞こえるように、工夫はしてるけどね。声帯、というよりは技術なところが大きいかな」
「技術…つまり、私にもできる、と?」
「練習すれば、多分ね」

途端、楊修の目が鋭くなる。仕事に関することとなると、彼は貪欲だ。習得する気満々の楊修に、女装の予定でもあるのだろうかと思いながら、志津も櫂兎の説明に耳を傾けた。

「こう、何ていうか出すコツがあるんだよ、コツが。喉は締めるんだけど、裏声になりきらずに、喉の奥とでもいえばいいか、首の後ろとでもいえばいいか、そこら辺を通って鼻に抜けるみたいに声を出すの」

実践した楊修は、鶏が首を絞められたような声を出した。その場にそっと沈黙が降りる。真顔の者、気の毒そうな目を楊修に向ける者、目を逸らす者、皆それぞれだったが、どの者も一様に笑いをこらえていた。

「あの?」

地獄の底から響くような、楊修の低い低い声に櫂兎はだらだらと冷や汗をかいた。

「……こ、これは元の声質のことだってあるし! 一回で出来る方が凄いし! これが駄目でも! 声色を変えれば!!」

楊修に睨まれ、身を竦ませながらも、これならきっとと櫂兎は話す。

「声色ってのは、印象を左右するものでね。ほら例えば、いくら同じような声でも、はきはき話す人は元気そうだし、凄味のきいた喋り方する人は怖そうでしょ?」
「…まあ、そうですねえ」
「そう。でも、その印象と実態が必ずしも一致するとは限らない。口調は乱暴だけど心根は優しい人って、いたりするじゃん。で、そういう人に限って、荒くれ者だとか乱暴者だとかって変な誤解を受けていたりする。
声の印象から、その人の言葉や行動まで見え方が変わって、勝手に誤解しちゃうんだよね」
「その誤解を、上手に使うのが、これ、というわけですね」

なるほど、と楊修は頷いた。

「それで、具体的にどうやるんです?」
「えっと、持って欲しい印象に噛み合うような声色にする。
例えば『優しい』印象は、柔らかい声で語りかけるように、『華々しい』印象は、煩くならない範囲で自信たっぷりに声を張って。『かわいい』印象なら、甘えるように。『落ち着いた』印象は、声の起伏をあまりつけずに、って感じで」
「ふむ」

楊修は少し間をおいた後、多分櫂兎の言うことに従って試してみたのだろうなというような声を発した。多分とつくのは、あまりにそれが、楊修の目指しているであろうところとはかけ離れた声だったからである。
それは、とてもじゃないが彼の口か出たとは信じ難い、全身の毛が総毛立った上にその毛を撫で回されるような心地のする猫撫で声だった。

また、その場を沈黙が支配する。

「……別人みたいな声、という点では成功じゃないですか?」
「黙らっしゃい」

今にも笑いだしそうなところを堪えているせいで、妙な顔になっている玉の皮肉は斬って捨て、毅然として楊修は告げる。

「笑うなら、やってみてから笑いなさい」
「ごめんなさい」

玉は即謝罪、皆もスッと真顔になった。そう、誰も彼を笑えやしないのだ。むしろこれは、そう、悲しい事件だ。どうしてこうなった、と口の中でだけ呟く。
いつも大抵のことはそつなくこなしてしまう彼だけに、これは何だか珍しい。

「その、これって、練習したらできるようになるものなんですよね、棚夏殿?」

志津が尋ねるが、櫂兎が答える前に楊修が口を挟んだ。

「慰めのつもりならば不要です」

この世のモノは全て敵! とでも言わんばかりに殺気立っている楊修に、櫂兎がびくびく言葉を掛ける。

「な、なんか、…ごめんね?」
「許しません。許しません」

二回言った。ガーンと衝撃を受けたような顔をした櫂兎に、楊修は暫く棘のある視線を向けていたが、不意に口角をクイと上げ、不敵に笑った。

「まあ、参考にならないでもなかったんじゃないですか?」

その視線に、もう棘はない。いつもの彼がそこにいた。

「虚言というわけではなさそうですし。技術的問題は練度を上げれば何とかなるのでしょう。それは分かりましたよ。
それで、他にはないんですか?」

冷静かつ沈着に。櫂兎から伝えられる技術を、彼は己の矜持や意地より優先したらしい。流石、仕事の出来る男は違うなぁと志津は一人うんうんと頷いた。

「ええ、他に? ええと…そう、話し方というなら、話す時の間の置き方や緩急、語尾に口調もひとつのコツかな。深窓の令嬢はゆったり話す。話し方って、やっぱりその人の生き方、とでもいうの? そういうものが、出やすいから。その癖を真似するといいよ」
「癖……言われてみれば、吏部には早口な人が多い気がしますね、忙しいからでしょうか…」

確かに吏部では瞬きひとつ程度の時間さえ惜しむ人が多く存在する場所である。そうであるのだが、あまりにも悲しい現実に今日何度目かわからない涙をのんだ。

「教えられそうなのは、これくらいかな」

顎に手をやり櫂兎が言う。その仕草ひとつとっても様になっているあたり、相当な練度をうかがわせる。

「ふむ。訓練にあたり、注意点などはありますか?」
「うん、喉痛めないように気を付けて、ってとこかな。一応、普通じゃない声の出し方するわけだから、喉に負担がかかる、んだと思う。俺は割とすんなりできちゃったし、喉も平気だったけど、これで声が枯れちゃう人もいるらしいから。くれぐれも、気を付けて」
「鶏のしめられるような声では喉に負担がかかるということですね」
「殴りますよ」

玉の軽口に楊修は拳を作った。まあまあと周りの者におさえられ、舌打ちしながらも、気を取り直したようにまた、楊修は櫂兎に訊ねる。

「先ほどすんなりできたなんておっしゃってましたけれど、その秘訣だとか、ないんですか」
「ああ、それは」

櫂兎はそこで、もったいぶるようにたっぷり間を開けて、笑顔で答えた。

「妹への愛かな」
「は?」
「愛だよ、愛。誰かのために、何かのために、発揮される力は強いと、そういうわけさ」

合点がいくような納得いかないような顔をした楊修に、ふわり、と櫂兎は極上の笑みを向ける。

「さて、もういいかな? そろそろ探しに行かないと、李侍郎が後宮どころか禁苑にまで迷い込みかねないよ」

志津は櫂兎の言葉に、禁苑に迷い込む絳攸を想像する。……彼なら有り得る。

「絳攸殿が失神してしまいますねぇ……急ぎましょうか」
「ええ。さっさといってきてください」
「ふふ、それでは。ごきげんよう」

すました顔で微笑む櫂兎を、気に食わないとでもいうように楊修はまたひとつ舌打ちして見送った。






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