短編 | ナノ






「やあ、元気そうだね」
「うん」
「今日は屋上庭園に咲いた花を持ってきたんだ」
「とても綺麗」
「ありがとう」

幸村はそう言いながら彼女のベッド脇にある花瓶に花を挿し、そして水をいれた。彼女はそれをぼぅっと見ている。

彼女が入院してからどれくらい経っただろうか。
彼女のコート脇を走り回る姿が無くなったのは、いつ頃の事になるだろうか。
果てしなく前の事のように思えるが、実際は1ヶ月かそこらだったような気がする。あれ以来彼女の心からの笑顔を俺は見たことがない。

「その花はなんていう花?」
「……これかい?これはダリアって花だよ」
「そっか…本当に綺麗だね…まるで」
「俺みたい?」
「うん」

彼女の言葉に被せるように聞けば、彼女は少し驚いたように瞠目した後に、可笑しそうにくすくす笑いながら首を縦に振った。笑顔は前と変わらない筈なのに、違和感。心からの、笑顔では、ない。
幸村は少しだけ、きゅっと下唇を噛んだ。

彼女は嘘が上手だ。

仁王も絶賛する程の、嘘つきである。でも、悪い意味ではない。負の感情を表に出すまいと、必死に偽るのが上手いのだ。辛い、悲しい、そんな負の感情を、俺らに絶対に気付かせない。

そして彼女は優しい。

とても気遣いの出来る、繊細な性格だった。視野が広く、どの部員の事でも何か違和感があれば気付くことが出来た。そしてさりげなくフォローをいれてくれた。だからだろう、後輩からも同輩からも、彼女はとても信頼されていた。

「今日は部活はミーティングだけだったんだけど、その後の予定が空いているの、俺しかいなくてね、お見舞い、俺しか来れなかったんだ。ごめん」
「謝ることじゃないよ。私、誰か一人だけでも来てくれるだけで凄く嬉しいよ」
「そう言ってもらえると俺も嬉しいな」

ほら、また嘘をついた。

瞬時に俺がかつて君の大切な人の一人だったと悟っただけでも彼女は相当聡い。だけど、嘘をつかれる方はとても悲しいって、心が軋むって事を、彼女は考えもしないのだろう。

ダリアの種をくれたのは君。ダリアが俺にそっくりと笑ったのも、君。俺が病室に来る度に、部活はどうしたの幸村くん、と聞くのも、君、だった。

今日は俺の名前を、彼女は、なまえは、一度も呼んでいない。

「俺は幸村精市。君と同じ歳。テニス部部長」
「…っ!」
「はじめまして、に、したくないけど、でも俺は君と仲間でいたいから、だから」


はじめましてと俺は言うよ。そしてまた笑いあうんだ。
(彼女の脳に大きな腫瘍がある事がわかったのが1ヶ月ちょっと前。記憶を担う部分を覆ったその腫瘍が、彼女の人生を蝕み、そして白紙に戻してしまうらしい。でも、白紙に戻るなら、また、描けばいい。同じ物はどんな凄い画家でも描けないけど、もしかしたら一回目に描いたものより素敵な物が描けるかもしれない。それもまた、いいんじゃないかと俺は思うし、みんなもそう言って、泣いて、笑った。あとは、君次第だよ、なまえ)

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