短編 | ナノ




「すみません、もう閉館の時間なのですが」
「っ、あ、ああ、すみません、つい熱中してしまったようです」
「いえ。貸し出しなら、早めにお願いしますね」
「すみません、今すぐに」
「そこまで急がなくても大丈夫ですよ」

薄く笑いながら眼鏡をかけた理知的な彼に言えば、彼は申し訳なさそうに笑った。そんな態度を崩しもせずに手だけは着々と帰り支度をするあたり、抜け目の無い、要領のよい人なのだろう。この分ならすぐに閉館の作業に取り掛かれそうだ。何しろこの図書館に残っているのは彼一人なのだから。私は彼に薄ら笑いを崩さないままに会釈をすると、カウンターにまで戻った。そして自分も帰り支度を始める。

「(今日はあまり進まなかったな)」

帰り支度をしながら、空白スペースの多く残ったノートを眺め、そしてなまえは小さく溜め息を吐いてしまった。帰り支度に精を出していた手もゆるゆると緩慢な動きになっていく。

なまえは物書きを目指している。

あまり表情が豊かとはいえないなまえの、唯一の表現方法が様々な物語を思い描き、表現する事だった。小さい頃から絵本並の短さのお話を考えては親に話し、そして喜んでもらう。それが凄く嬉しくて楽しくて、初めて深く笑顔を刻めたような気がしたのだ。それは中学3年になってまで続いている。勿論、進路希望にも物書き、と書いて提出した。担任にいい顔はされなかったけど。ノートに様々な物語を書いては、それに満足していた日々だったのだが、最近どうにも、書けない。理由は、わかっている。先程も述べたように、担任にいい顔をされずに、どれだけこの進路が厳しいかを説き伏せられたからだ。いい話が書けなければ生きていけない、お前にそれは出来るのか。そんな事を言われて、何かが割れるような、目から鱗まではいかないが、そんな感情が心を占めた。

いい、お話。

そんな、自分が満足したらそれでいい、と、私は狭い世界の中でただただ自己満足に浸っていただけだったのだ。誰かに楽しんでもらえるような、売れるような、そんな世界、考えてもみなかった。

今まで軽快だった手が、急に鉛を乗せたように重くなった。

「書けない…」

ぽつりと呟いた言葉は、案外、静かな図書館に響いた。そんな自分の言葉に我にかえり、顔を咄嗟に顔を上げれば、いつのまにカウンターに来たのか、彼が少し困り顔で立ち尽くしていた。

「すみません、驚かせましたか」
「い、いえ、違いま…あれ、私、驚いていましたか」
「?はい、確かに」
「(私の表情が、わかるんだ)」

少し驚いたが、全然知りもしない彼にそんな事を言っても無駄だろう。きょとんと首を傾げた彼に咳払いを小さくすると、貸し出しの手続きをする為に、彼の手にある本を受け取った。彼もこれ以上私が何かを話す事はないと察したのか、作業をしている私の手元を見ている。

と、思ったのだけど。

「…これは、あなたのノートですか?」
「え、あ、…」
「…お話、ですか?」
「…友人が、書いたから、読んで欲しいって」
「なるほど、ご友人のでしたか」
「…はい」

咄嗟に嘘をついてしまった。
いいお話なんて書けない私のノートを見られただけでも恥ずかしい思いなのだ、これが私の書いた物だと思われたくなかった。彼は無言でジッとノートを見ている。

「……」
「あ、あの」
「ああ、すみません、読み耽りそうになりました。ご友人は素晴らしいお話を書かれるのですね」
「そ、んな…」

素晴らしいお話。
何かが胸に突き刺さった。きっと、お世辞だ。彼は優しそうだから。居たたまれなくなって斜め下を見れば、彼は、ふ、と息を吐くように笑った。

「このお話はまだ序章のようですね。出来れば、でいいのですが、続き、ご友人が書いたら私にもこっそり読ませてくれませんか?」
「え、」
「続きが気になるのです」

そう言って、ふわりと柔らかく笑った彼は、柳生比呂士です、よろしくお願いしますね、と言った。


XX:知り合う。

続きます。連載とは言えないちゃっちいお話なんで、シリーズもの。

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