短編 | ナノ





「素敵な笛ですね」

笛の音が止んだ。
燦々と降り注いでいた陽の光が木々の隙間から漏れて地面にまだら模様を作り、それが風によってさわさわと揺れているような、そんな穏やかで心地よい日だった。深い森の奥はそれほど暑くはなく、居心地もよかったので、龍蓮は大木の根に囲まれるように座り、そこで彼なりの風情に浸っているところだった。そこに響いたか細い声。振り向いてみれば、大木の陰からこちらをにこにこと覗き込む女が一人、いた。

「そちらに行っても?」
「許可しよう」
「ありがとうございます」

なんの殺気もなく、ただの平々凡々な女に特になんの感情も起きなかった。ただいるだけなら構わない。龍蓮はまた自然と同化するように笛を吹き始めた。一般的に聞いたらそれは怪奇音極まりない音色なのだが、何故か、それが今この場にぴったりな音色のように思えて、女…なまえは微笑を携えたまま、龍蓮の隣にそっと腰掛けた。そのまま笛の音色に耳を傾ける。

「……」
「…もう止めてしまわれるのですか」
「興が冷めてしまった。今の曲はこの森羅万象たる神々しい自然に向けての曲だった。人がいてはそれも無に帰すということだ」
「それは……申し訳ありません」
「何、私が許可したのだ。そなたが心を病む必要はない」

そう言った後にまた龍蓮は笛を吹き始めた。それは先程と違い軽い曲調の、奇天烈な音が流れ始めた。なまえはまたそれに耳を傾ける。

そうやってどれ程の時間が経っただろうか。日は高いところからどんどん沈み込み始めた。日暮れまではいかずとも、そろそろ橙色に昊が変わってくる頃だ。少しずつ肌寒くなっていく。

「ふむ。私の笛の音色の価値を感じる事が出来るとは」
「え、あ、」

そうやって目を閉じて曲に聞き入っている内に、なまえは涙を流し始めていた。正直に言えば彼の音色に涙した訳ではない。なまえはこの山に捨てられた。自分の生まれた村が疫病に侵され、次々と人が死んだ。考えが一昔前のままだったその村は、人身御供を、と考えた。まだ嫁にも行っていない、潔白の身体をした自分が選ばれた。両親は私より村からの御礼を取った。そして私は山に閉じ込められた。村に戻れば死罪だと怒鳴られた。私は泣かなかった。泣いてたまるかと、思った。

でも、このなんともちゃらんぽらんな音に、可笑しくて、なんだかどうでもよくなって、泣いた。

「すみません、なんだか、可笑しくて、」
「日暮れだ。この暖かい橙色に染まった人の涙というものも風情に溢れるものなのだな。まるで朝日に光る露草が落ちるが如く、澄んでいて、また、美しい」
「は、はは……都の人は凄く、文化人なのですね」

涙を拭う事もせずに橙色に染まり始めた昊を見上げた。木々の隙間から突き刺すように入る夕焼けの色。ああ、まだ生きてるんだなぁ、私。でも、駄目だなぁ。私は、自然と一緒になるんだなぁ。溢れる涙は止まらなかった。

そう思いながらしずしずと泣いていたら、彼はすくと立ち上がった。もう、行ってしまわれるのだろう。なまえは夢のようだった一時に心の中で感謝した。最後に人に会えてよかった。

「この国に人は何人いると思う」
「……え?」

そのまま立ち去るかと思えば、彼はそんな事を聞いてきた。なまえは首を傾げる。

「私には、数え切れない程…」
「ならこの国はどれくらい広いと思う」
「えっと…私の両の足でも到底渡り歩けない程でしょうか…」
「私はそんな中で奇跡のような縁を大事にしたい。心の友其の一に教わったのだ。ここにはただならない程の物で溢れていて、そしてその中のほんの少しの確率で人と人は出会っていく。なかなか粋な事ではないか!」
「は、はぁ…」

何を言うのかと思えば、学の無いなまえにはわからない事だらけだった。そんななまえを見て笑んだ龍蓮は、頭の装飾をそっと取った。それだけで、貴陽に立派な邸が建てられる程の値打ち物だ。それを、なまえに渡した。

「えっ、あ、あの…!私はもう!」
「それで金には困らない。あとはどうするかは、そなたが決めるがいい」
「あ、」
「ここは冷える。あそこに私が野営した跡地がある。凍え死ぬ事はない。ここいらには盗賊もいない。ではまた、私の笛の音の客人よ!」

颯爽と歩いて行ってしまった彼に、私はまた涙を流した。生きてもいいのだと言われた気がした。私の勝手な解釈だけど、そう、言われた気がする。私は彼の野営跡に行き、火を起こし、決心した。生きよう。足掻いて足掻いて、そしてまた、と言ってくれた彼を探して、御礼を言うのだ。それまでは死ねない。これも、使えない。

なまえは藍色の宝玉があしらわれた髪飾りを握りしめ、また、泣いた。



(少しだけ連載にしようかな〜って考えたネタ)

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