短編 | ナノ




「おや、見ない顔だね、君。お名前を教えてくれないかな」

後宮に忍び込む不届き者がいるらしい。

筆頭女官である珠翠様が尋常ではない程お怒りになっていると噂があった。確かに、ちらと垣間見えた麗しいお姿からは想像もつかない程に般若面で後宮内を歩き回っていたものだ。それを思い出してなまえは内心笑ってしまう。

「おや、何か可笑しな事を言ったかな?」
「あら、内心で笑っていたつもりなのですが、出ておりましたか」
「はっきりとね。笑う姿も可愛いね」
「お上手ですね」
「本心だよ」

私を壁際までゆるりと追い詰め、壁と自分の身体の合間に私を閉じ込めてにこやかに笑う美青年を見上げながら、これからどうしようか画策を練る。気付けばここはあまり人が通らない廊下だ。

「本当に、後宮に忍び込んでは女官達を誑かしているのですね」
「みんな可愛いから。仕方のない事だよ」
「やはり私だけの御言葉ではないのですね?」
「おや参った。そうくるとは」

藍楸瑛。藍家四男坊にして国試を傍眼及第した能吏。その秀でた頭脳と生まれ持った美貌が際立つ所作。くすくす笑うその姿だけで女を魅了する。さて、この人は何人の女人を抱いてきたのか。

「最近不届きものが出るらしいですね。あなたの事では?」
「いいや、違うね。私でない」
「あら、後宮に男がいるのに?」
「ああ、そうだよ、もう一度聞くね。君は、誰かな?」

笑みを崩そうともしない。私も負けじと笑みを崩さない。でもそれに意味はない。だってバレてる。鼻と鼻がぶつかりそうな位置まで近づいている男は私が思いっきり押しているにも関わらずびくともしない。

「あーあ。報酬がよかったから受けたのにな。私の人生も、ここまでって事ね」
「いやに冷静だね。主人は誰かな?」
「言わないわ。一応誇りは持ってるつもり」

気丈に振舞いながら視線を外そうともしない可愛らしい女に楸瑛は目が離せなかった。最近主上に毒が盛られたらしい。珠翠殿が目くじらを立てて後宮を調べている。犯人は女官だろうかと楸瑛も後宮に忍び込み調べてみれば、見知らぬ女が一人。後宮に忍び込んでは数多の女官を誑かしていた楸瑛には一目瞭然だった。あの子だ。それで近付いてみれば、凛と咲く野薔薇のような、美しくも強い姿勢に心を打たれたのだ。

「早く拷問にかけるなり殺すなりしたら?それか刑部にでも引っ張ってく?」
「いや、君を買う」
「は?」

なまえは息のかかるような近さの美青年の顔を呆れたように見た。

「幾らでも払うよ。私に仕えてくれないかな。そしたら、不問にする」
「馬鹿らしい。そんな薄っぺらい誇りじゃないわ」
「それが欲しいな、私は」
「なんでも手に入れる、なんて、本当お坊っちゃまね」
「なんとでも。君が欲しい」

ぐ、と言葉に詰まる。言葉通り目と鼻の先にある鋭く深い色を携えた目に見据えられて心が揺れる。自分自身が欲しいという人間は初めてだ。

「交渉成立?」
「ちょっ、何も、」
「珠翠殿には私から言っておこう。では失礼して」
「ちょっと!どこ触って、きゃ!」
「物理的なお持ち帰りは初めてだな。新鮮新鮮」
「馬鹿!あんた!本当!馬鹿!」

ぎゃあぎゃあ騒ぐなまえに楸瑛は朗らかに笑った。

「先程、君は私の人生もここで終わりっていったね。その通りだ。これからは新しい人生を歩んでもらうよ」

その言葉に、なまえが口元を緩めていた事を、俵担ぎでなまえを抱えていた楸瑛には知る由もなかった。

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