凱旋門の鐘が街に鳴り響いた。
今日も私は、店の小さな窓から帰還した調査兵の列を眺めている。






リヴァイと別れて、もう何年経つだろう。別れるといっても、恋人同士などはっきりとした関係ではなかった。だけど、私にとってリヴァイは大切な存在だったし、リヴァイもまた私のことをそう思ってくれていた。お互い口には出さなくても、それで良かった。一緒に居るだけで、それだけで幸せだった。








毎日のように店に訪れていたリヴァイがぱったり来なくなって2週間が過ぎた頃だった。閉店後に、扉の鈴が鳴ったと思えば、そこにはリヴァイの姿があった。久々の彼の姿にパッと顔が明るくなる。が、すぐに表情が固まった。リヴァイが何故か調査兵の隊服を身にまとっているのだ。



「…なにその格好」
「…調査兵団に入団した」
「…なんで急に?」
「もう、ここには来れない」



理由も何も述べず、淡々と言葉を紡ぐリヴァイに、頭がついていかなかった。なんで調査兵になったのか?なんでもうここには来れないのか?突然のことに、ただただ呆然と立ち尽くした。リヴァイの目を見つめる。覚悟を決めたような強い瞳だった。もう、今までのように他愛もない話をしたり、喧嘩は駄目と叱りながら、傷付いた拳を手当てしたり、閉店後2人で朝まで飲み明かしたり、できないのだろうか。当たり前だった日常が、2人で過ごしてきた時間が、あっけなく崩れていく。



「…もう一生、会えないの?」



頭では、返ってくる言葉は分かっていた。彼を、引き止められないことも。だけど、ぽろりと出てしまった私の言葉に、リヴァイの瞳が少しだけ揺れた。



「アイル」



突然腕を掴まれ、引き寄せられた。息が出来ないほどにきつく抱き締められ、その温もりに涙が込み上げてきた。何年もの付き合いだが、リヴァイに抱き締められたのは初めてだった。がっしりとした筋肉質の体。リヴァイの匂い。きっとこの感覚も、最初で最後なのだろう。胸がどうしようもないくらい締め付けられた。神様。どうか、悪い夢でありますように。そう願いながら、リヴァイの体をきつく抱き締め返した。





「幸せになれよ」





後頭部に回された手が力無く落ちるのと同時に、リヴァイが私から離れていく。ああ、やっぱり夢じゃないんだ。行かないで。傍にいて。残酷すぎる現実に、もはや、声も出なかった。チリンと虚しく鳴り響く鈴の音。闇に消えていくリヴァイの後ろ姿を目で追いながら、私はその場に泣き崩れた。








ああ、また思い出してしまった。ぎゅっと拳を握り締める。何年経っても、あの日のことは忘れられなかった。今でも昨日のことのように鮮明に蘇るのだ。あの日、何故リヴァイが別れを告げに来たのかずっと考えていた。私が邪魔になったのかと思ったりもしたが、おそらく違う。リヴァイは、私を守りきれる自信がなかったんだ。いつ命を失うかも分からない中で、「待ってろ」なんて言えなかったんだ。「幸せになれ」と言ったのは、彼なりの優しさだ。俺のことは忘れて、他の男とごく普通の幸せな人生を歩んでくれ、ということだったのだろう。本当にお人好しにもほどがある。月日は流れ、リヴァイが兵士長と呼ばれるようになり、市民の英雄となった。『リヴァイ兵士長』と街の人々が名前を口にする度に、私は小さく笑ってしまう。あの頃の荒んだ彼を誰が想像するだろう、と。私は、もうあの頃に戻りたいとは思わない。やっとでそう思えるようになった。人類の為に命を懸けて戦うリヴァイをずっと陰から見守り続けよう。リヴァイに気付かれないように、そっと。


今回も無事だとは思いつつも、いつも通り彼の姿を探す。








…が、見当たらない。ドクン、と心臓が鳴った。いつもはあの一つに髪を結んでいる、ゴーグルをかけた女の人の隣にいる筈なのに、見当たらない。ごくり、と唾を飲み込んだ。もう一度、列を見渡す。…いない。リヴァイがいない。気付くと私は店を飛び出していた。






息が、上手く出来ない。膝が震える中、群がる市民を掻き分け、やっとで前列へと出た。目の前にいたのは、ゴーグルの女の人。目が合った。酷く、傷心している顔だった。この人だけじゃない。みんな、世界に絶望したような表情を浮かべていた。


「…あ、あの…リ、リヴァイは?」


よろよろと女の人に近寄り、リヴァイの安否を確認する。瞬間、女の人が目を見開いた。急にとてつもない恐怖が襲う。全身にふつふつと鳥肌が立った。聞きたくない。戦死を遂げたなんて、聞きたくない。女の人の表情で全てを察した私は、答えを聞く前に逃げるようにその場を離れた。










巨人化が解けて、意識を失ったエレンを運んできたために、みんなより一足遅れての帰還となった。やっとで自室へと戻り、着替えを済ませたばかりの俺の元へハンジがやって来た。


「お疲れ、リヴァイ」
「…エルヴィンからの呼び出しか?行かねぇぞ。休ませろ」
「違うよ。リヴァイに伝えに来ただけ」


何をだ?と睨み付ければ、ハンジが予想もしなかった言葉を口に出し始めた。


「帰還したときにさ、顔面蒼白で私の元に寄ってきた女がいたんだけど、」
「それがなんだ」
「死んだ仲間の家族か恋人なんだろうなと思っていたら、リヴァイの名前を出してきたんだよ」


心臓が、大きく鳴った。


「びっくりして何も言えずにいたら、逃げ出しちゃったんだよね。悪かったな。多分、リヴァイが死んだと思ってるよ」


まさか、


「私の隣にいつもリヴァイがいることを知ってたんだろうね。だけど、今回リヴァイの姿が見えなかったから、わざわざ私に聞きに来たんだと思うよ。で、なに?昔の女?」


ガタン、と部屋を飛び出した。後ろでハンジがごちゃごちゃ騒いでいるがもう何も聞こえない。アイルしかいねぇ。アイルしか思い付かねぇ。アイルの店へ、全速力で駆けた。別れてから、どれくらい経つ?もう分からないくらい月日が流れた。その間、あいつはずっと俺を想っていたのだろうか。いや、そんなはずはない。理由も何も告げず、俺はアイルを捨てた。恨まれて当然の俺を、未だに想っている筈があるか?だが、あいつはハンジの元に駆け寄った。俺の安否を気にかけていた。あの日の泣きじゃくるアイルの顔が頭に浮かび上がる。アイルには幸せになって欲しかった。巨人を絶滅させると強い意志が芽生えた中、俺はあいつを守りきれる自信がなかった。アイルに別れを告げたのは、あの頃の弱い自分の考えた末の結論だった。俺ではアイルを幸せに出来ない。だったら、俺のことはさっさと忘れて他の男の所へ行け、と。今さらアイルに合わせる顔なんてないのは分かっている。だが、アイルに会いたいと心の底から思った。もう一度、抱き締めたい。あいつに殴られようが、追い出されようが、それでもいい。アイルに、会いたい。その一心で懐かしい道を全速力で駆け抜けた。あの角を曲がれば、あいつの店だ。









ああ、リヴァイが死んだ。
もう姿を見ることすら出来ないと思うと、涙が溢れ出た。どんな最期だったのだろうか。痛かっただろうな。苦しかっただろうな。カウンターの一番隅の席に座りながら涙を流した。ここはリヴァイがいつも座っていた席だった。気付けば2人で過ごした時間より、別れてからの時間の方が長くなっていた。でも、リヴァイとの思い出は私の中に未だに強く残っている。一生消えることはないだろう。愛していた。心から、リヴァイを愛していた。



「…リヴァイ、会いたいよ」



リヴァイを見守ろうと決めていた。だけど、本音はリヴァイに会いたくて、会いたくて堪らなかった。もう一度抱き締めて欲しかった。でも、リヴァイは死んだ。一生叶うことのない夢。テーブルにぽたり、と涙が零れ落ちた。



チリン、



扉の鈴が鳴った。まだ、開店前なのに、と涙で滲んだ目を擦りながら扉へ目を向けた。その姿に、息を呑む。リヴァイだ。リヴァイがいる。


「…な、なんで?」


息を切らしながら、入り口に佇むリヴァイの姿に目を見開いた。死んだはずのリヴァイが、立っている。心臓がドクドクと脈を打った。カツカツとブーツを鳴らし、近付いてくる。あの時のように、ぐっと腕を掴まれ、引き寄せられた。


「アイル、」


これは、夢?混乱する中、彼の声



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