077.5 知りたいこと※【移葉月】没話。労咳の話。----------
▽side:総司
「ぎゃあ」
蛙を踏みつぶすような、色気の欠片もない短い悲鳴を最後に、美緒ちゃんはどさりと夜露に覆われた庭へと倒れ込んだ。
木刀を振る手を止めて、乱れた呼吸を整えながらそんな彼女を見下ろす。
苛めぬいた彼女の細い両の腕は微かに痙攣していた。
当たり前だ。
もうかれこれ半刻ほど素振りを続けている。
刀の握り方で、明らかに素人だって分かる彼女がまさかここまで粘るとは思っていなかった。
こんな状態になるまで彼女に稽古させたのは他でもない僕だけど、泣き言のひとつでも口にすればそこで解放してあげるつもりだった。
一応、女の子だしね。
けれど、予想に反して彼女はしぶとかった。
ぶちぶちと文句を垂れ流しながらも、促せばまた木刀を握る。
なんだかそれが面白いような面白くないようなで、ついこちらもムキになった。
壬生寺で‘彼’に打ち手を頼んだ時も、もう少し手加減してあげたような気がする。
そんな自分に思わず苦笑が漏れた。
彼女の隣に腰を下ろす。
「腕、ちゃんと揉んどきなよ」
明日、辛くなるから。
そう言ってやると、彼女は恨めしそうにこちらを睨め上げる。
その強い視線が可笑しかった。
彼女が男なら、きっと楽しめた。
しぶとい子は嫌いじゃないよ。
剣の才能はいざ知らず、それだけ根性があればそれなりの使い手にはなれる。
浅葱の隊服を纏って剣を振るう美緒ちゃんを思い描くと、可笑しかった。
まだ乱れたままの呼吸を割いて、くつくつと笑いが漏れる。
「けほっ」
無理に笑ったから、喉から小さく咳が零れた。
以前なら、これくらいの稽古で息が上がることもなかったのに。
風邪だと思っていた咳は存外に長引いていた。
余りにも長く続くそれに、ひっかかりを覚える。
ずっと前、まだ美緒ちゃんが僕の正体を知らなかった頃に、沖田総司を“病弱”だと形容した。
確かに僕はそれほど丈夫な方じゃない。
新選組が、とびきり頑強な人たちの集まりっていうのもあるけれど、それを差し引いても、多分、床に伏す機会は人より少し多かった。
それでも、僕は自分が特別に弱いとは思っていない。
たまたま運悪く流行り病にかかることが多かった。
それだけだと思う。
少し運が悪かった、その程度だと。
でも、彼女は病弱だと言った。
そう、彼女の時代に伝わっていると。
あの時は、それは間違いだって笑い飛ばしたけれど、或いは、それがこれから僕の身の上に起こる出来事を指して言っていたとしたら納得がいく。
病で伏せった、そう伝わっていれば。
ぞろりと焦燥感が胸の内を這い上ってくる。
彼女の知る歴史なんて知りたくないと思っていた。
新選組の行先を決めつけられてしまうような気がして、後の世に残された情報なんて知りたくないって。
けれど、この咳の原因が予想通りなら、僕はこの先の運命を知らなくちゃいけない。
いつまでこの身体を自由に動かすことが出来るのか、それを知らなくちゃいけない。
知った上で、最後まで近藤さんの剣となれる方法を探さなくちゃ。
畳の上で果てるだなんて、そんなのは嫌だ。
近藤さんを守って、近藤さんの為に死にたい。
それが出来ないなら、僕の存在意義なんてない。
がさり、隣で美緒ちゃんが起き上がろうとする気配を感じた。
振り向いて、その肩を押し留める。
再び地面に頭をつけた彼女の視線を無視して口を開いた。
「聞きたいことがあるんだけど」
見開かれた彼女の瞳を覗き込みながら、小さく呟く。
こんな時間なのに、どこか遠くでしゃわしゃわと蝉の鳴き声が聞こえる。
ああ、今夜は風がなくて蒸し暑い。
掌の下の彼女の細い肩は、汗で湿って熱かった。
「僕は労咳で死ぬの?」