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03 琥珀:山南敬介


「雪村くん、ちょっといいですか」



障子越しの穏やかな声に肩が跳ねる。

慌てて膝の上に置いてあった葛餅を文机の下に追いやった。

どうぞ、と返した声が上ずっている。

敏い山南さんのことだからきっと不審に思ったに違いない。

それでも、出来るだけ何事もなかったかのような顔で座り直す。

す、と静かに戸が開いて眼鏡をかけた穏やかな顔が現れた。

その手には丸い盆。



「このところ暑いでしょう?会合に出たついでについついこの様な物を買い求めてしまいました」



恥ずかしそうに目を伏せながら手元の包みを差し出した。

目で開けるよう促され、素直に従う。



「わぁ」



感嘆の声が漏れた。

青い寒天に愛らしい金魚が二匹沈んでいる。



「琥珀の金魚鉢ですね。可愛い」



にっこり微笑んだ千鶴に、山南の顔も綻ぶ。



「あなたに喜んでもらえるなら、私の出来心も報われます」



一緒に食べましょうと促され、喜んで手を伸ばした。

上から眺めたり、下から眺めたり、陽に透かしたり、飽くことなく少女は青い冷菓を眺める。



「早く食べないと温くなってしまいますよ」



自分の分を口に運びながら、山南は静かに微笑んだ。



「少し勿体無い気もしますね」



名残惜しみながら、千鶴は金魚を壊さないよう注意を払って寒天を崩す。

ふるりと震える青い菓子からは微かに葛の風味がした。

文机の下に追いやった葛餅を思うと、胸が痛む。



(折角のご好意だもんね、温くなっていてもいいから夕餉の後にでもちゃんと頂こう)



そう思いながら、金魚を頬張る。

甘い餡の味が口いっぱいに広がった。

じんわりと広がる幸せな味を噛みしめていると、どたどたと廊下から騒々しい足音が響いてくる。



「千鶴ちゃん、入るぞ!あのよ、俺の隊服――っと!」



千鶴返答も待たずに新八が慌ただしく戸を開く。

その途端に障子と向かい合うようにして座っていた山南と目が合い、一瞬たじろいだ。



「永倉くん、子女の部屋の戸を開けるのに、もう少し静かには出来ませんか」



「お、おう。悪ぃな千鶴ちゃん」



「いえ。

……あ、あの。永倉さんも一緒にどうですか。ちょうど今、山南さんに琥珀羹を頂いたところなんです。その……もう半分は私が食べちゃったんですけど……」



新八の視線が自分の手元に注がれていることに気付いてもごもごと歯切れ悪く勧める。

食べかけの物を勧めるだなんて失礼な気もしたけれど、今にも涎を垂らしそうな顔で新八の目は青色の菓子に釘付けだった。



「いや、そんな訳にゃいかねぇよ。折角山南さんが千鶴ちゃんの為に買ってきたんだろうし――千鶴ちゃん?」



「はい?」



ふい、と逸れた新八の視線が何かを捉える。

千鶴は目線だけでそれを追ってから、しまったとばかりに眉尻を下げた。

新八の目の先には先程風間が置いて行った葛餅の包み。



「これ、舟橋屋の葛餅じゃねぇのか?」



「え、あの、これは、その――」



しどろもどろになる千鶴に新八が詰め寄った。



「千鶴ちゃん、後生だ!一口でいいから食わせてくれ!」



「はい?」



その剣幕に千鶴はじりっと後ずさる。



「お好き、なんですか……?」



「好きなんてもんじゃねぇよ!」



キラキラした瞳でその葛餅がいかに美味いかを熱弁し始めた。

平素から熱苦しい人間だが、ここまでの情熱はついぞ見たことがない。

呆気にとられて、山南はその姿をただただ眺めているしかなかった。



「な、永倉さん。そんなにお好きでしたら、全部持って行って下さって構いませんから」



終わるともしれない講釈に、遂に口を挟んだ。

もともと食べていいものか困っていた代物だ。

風間には申し訳ないが、全てあげてしまっても惜しくはない。



「いいのか千鶴ちゃん?!恩に着るぜ!」



破顔した新八は飛び上らんばかりの喜びようだ。

葛餅の包みを受け取ると、機嫌よく部屋を出て行った。



「あ、永倉さん!何かご用があっていらしたんじゃなかったんですか?!」



ふと新八が部屋に入り様、口にしていた台詞を思い出し慌てて立ち上がる。

山南に断りを入れてから、千鶴は新八の背中を追って廊下を駆け出した。


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