016 勝手知ったる▼side:美緒
「また来たよ」
まるで親しい友人の部屋に上がり込むような気軽さで今夜も彼は現れた。
今日はこの前の服装から浅葱色の羽織だけ脱いだ格好だ。
相変わらず二本の刀を重そうに腰から下げているけれど、血は付いていない。
そのことに、心中でそっと安堵した。
出来れば、ここに来る前は斬り合いなんてしてきて欲しくない。
本能的な恐怖を呼び覚ますあの赤なんてもう二度と見たくなかった。
まぁ、言っても無駄なんだろうけど。
権兵衛(仮)は自分で仏壇の前から座布団を取ってきて、部屋の真ん中に置いてあるローテーブルに向かって座った。
勝手知ったる他人の家、とはまさにこのことだと思う。
それしても、ふてぶてしい。
最初の二回をカウントするかどうかはあやしいけれど、彼がこうやってこの部屋に現れるのも彼是五回目、慣れない方が嘘だ。
けれど、こいつのこの順応性の高さはいかがなものか。
多分、私の方がずっと戸惑ってる。
私がホームで、あいつがアウェーの筈なのに、絶対あいつの方が寛いでいる。
そんな確信があった。
「何、人の顔じろじろ見て」
にこにこと感情の読めない、けれど人好きのする笑顔が機嫌よく笑っている。
別になんでも、と雑誌に目を戻す。
ちょっとぐらいアウェー感でも味わいやがれ、とばかりに無視を決め込む。
他人ん家で放置されること程、所在ないことはないと思う。
雑誌を眺めているふりをしながら、権兵衛(仮)がそわそわし出すのを今か今かと待っていた。
あああ、意地が悪いな、私。
こいつと一緒にいると、意地の悪さがうつるらしい。
半年前までは絶対もっと素直で優しかったと思う。
自分で言うのもなんだけど。
さりげなく権兵衛(仮)の様子を窺ったつもりが、ぱっちりと目が合った。
「ねえ、僕を無視するのもいいけどさ、素直にこっちおいでよ」
ちょいちょい、と手招きされる。
こっちの思惑なんてバレバレだった。
ちらちらとそちらを窺っていたのも。
どうやら彼には素直になれずに呼ばれるのを期待して視線を送っていたのだと解釈されたみたいだったけれど。
小癪な。
何もかも見透かしてますって顔が憎たらしい。
「別に無視してる訳じゃありませんーこの雑誌が余りにも面白過ぎるから熱中してるだけなんですー」
「……あのさぁ、君ってほんと大人げないよね」
「大人げなくさせているのは何処の誰でしょうね」
「僕に八つ当たりされても困るんだけど」
はああ、とわざとらしくため息を吐いてみせると、権兵衛(仮)はこちらに向き直り、にっこりと極上の笑顔を浮かべた。
う、その顔は反則――
「さっさと機嫌直して、お湯沸かして来てくれるかな?」
「……は?」
突然飛び出したフリーダムな発言に思わず固まる。
えーっと、あなた一体どんな思考回路していらっしゃるのでしょうか。
そのダイヤモンドよりも輝かしい笑顔で全てが許され、どんな我儘でもまかり通るとでも思っていらっしゃるんでしょうか。
幾ら士農工商のヒエラルキーの頂点に立つ武士様だからって、そんな横暴が許されるとでも?
ここはそんな優劣関係なんてない現代ですから郷に入らば郷に従えでこちらのルールに合わせてもらいますからね。
「お湯くらい、自分で沸かせば?廊下出て左の突き当たりに台所があるから、お好きにどうぞ」
「ええ!湯呑みの置いてある場所だって分からないし、君がいく方が効率的だと思うんだけど」
それは、まぁ、一理あるけど。
「それに僕はお客さんだよ」
だから茶を振る舞えとでも言うのか。
いや、こんなフリーダムな客を自ら招いた覚えはないのだけれど、勝手に押し掛けてくるお客にまでももてなしを施さなきゃいけないのか?
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