012 即席お手入れ道具▼side:美緒
眺めていた雑誌の向こうで、何かがちらりと動いたような気がしたから目線を上げた。
そこには、いつものように突然部屋に現れた強盗――もとい、幽霊――もとい、権兵衛(仮)の姿があって、私は目を見開く。
「こんばんは。ねぇ、毎回毎回僕の登場に驚くの、いい加減やめたら?」
開口一番、権兵衛(仮)は相変わらず憎たらしい台詞を吐く。
私だって、あんたの登場にはもう慣れた。
今驚いているのはそういうことじゃない。
それは、いつもと違う野性味を帯びた殺伐とした雰囲気と――
「あ、あああんた、それ、血!」
半身を真っ赤に染めたその姿。
袖と刀の鮮やかな色に身がすくむ。
「ああ、これ?」
僕の血じゃないよ。
何でもないようにそう言いながら、彼は自分の手元をちらりと見下ろす。
その平常心にゾッとした。
じゃあ誰の血か、なんて考えたくもなかった。
幽霊になっても斬り合いをしてるのか、こいつらは。
それとも、彼の言う通り『まだ死んでない』のなら、時代を超えてここへ来たのか。
人を斬った、すぐ後に――?
首筋がすっと冷えて、肌が粟立つ。
今とは全く常識が違う世界の人間。
時代の隔たりっていうのは文化が違うだけじゃない。
想像以上に――怖い。
切にそう感じた。
いくらばあちゃん指導の下、ちょっと時代錯誤的な教育を受けてきたって言っても、一歩家の外に出れば現代っ子の私が血を見る機会なんて滅多とない。
その鮮やかな紅に本能的に恐怖を覚える。
そんな紅をまとう、彼にも。
「ごめんね」
こちらの心中を察したのか、彼にしては珍しい、本当に僅かだけ殊勝さを籠めた声がぽとりと部屋に落ちた。
それでも私の身体はびくりと勝手に縮こまる。
それを見て見ぬふりして、彼は言葉を続けた。
「これ、片付けたいから道具貸してくれる?」
「ど……道具って?」
「目釘抜なんかの手入れの道具」
「めくぎ……ぬき?」
「知らないの?」
「う、うん……」
くりくりと目を見開いた権兵衛(仮)は、女の子だから仕方ないか、なんて一人ごちている。
女の子だからじゃなくて、現代人だから知らないんですー
そう言いたかったけど、止めた。
刀を眺めながら少し逡巡して、じゃあさ、と彼はこちらを見る。
「硬くて小筆よりももっと細い木の枝と、柔らかい紙か布、それに油を少しもらえるかな。打ち粉は――いいや。言っても分かんないだろうから」
そう、打ち粉なんて私には分かんないよ。
嫌味に聞こえなくもないその言葉を、こちらへの配慮だと思うことにして在り難く受け取っておく。
枝に、紙に、油か――
権兵衛(仮)が微かに見せる、こちらを気遣うような優しい声音に勇気づけられて少しずつ冷静さを取り戻し始めた頭で家の中の物をリストアップし、必要なものだけ抽出していく。
これまでもそうだったじゃないか。
こいつには私を殺す気はない。
そう思うと、恐怖で冷えていた指先にほんの少し温かみが戻って来たような気がした。
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