099 松本先生▽side:総司
ああ、それにしても冷えるな。
がっくりと項垂れる美緒ちゃんを見下ろしながらそんなことを考える。
屯所に居る間は別に全然平気なのに、こちらに来てしまうと自然と快適さに馴染んだ身体が暖を欲する。
ほら、立って。
部屋に戻ろうと彼女を促す前に、けほり、咳が出た。
それを合図に、僕の背後で襖が開く。
「わ、お前たち……こんな寒いところで」
そう言って顔を覗かせたのは、美緒ちゃんの“とうさん”で。
近藤さんよりももっとおっとりとした表情で微笑みながら、僕と美緒ちゃんの手を取る。
「手もこんなに冷たくなって」
ほらほら、戻っておいで。
まるで子供に言い聞かせるみたいにそう言って、柔らかな物腰とは反対に、ぐいぐいと僕たちを引っ張っていく。
廊下かから美緒ちゃんの部屋の前を通り過ぎて、連れてこられた部屋の襖を開ければ、もわっと暖かい空気が押し寄せた。
一緒に、香ばしい醤油の焼ける匂いが僕を出迎える。
「お、来た来た」
さっきの、お猿さんみたいな美緒ちゃんの“かあさん”が、炬燵に入ったまま手を伸ばして傍の火鉢で餅を焼いている。
火が危ないからもうちょっと炬燵から離すようおじさんに窘められて、子供みたいに無邪気な返事を返す。
まぁまぁ入りなさい、と促されて僕たちも炬燵に入る。
相変わらず落ち込んだ表情のままの美緒ちゃんは、それでも炬燵に入るなりさっさとみかんを剥き始めた。
わこわこわこ。
一心不乱に橙色の皮を剥く。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
丸裸にされたみかんが炬燵の上に並ぶ。
よっつ、いつつ、むっつ。
口に運ばれることなく、無防備なみかんが列を成す。
ななつ、やっつ、
「あ、ちょっと!」
「なにさ」
「私のみかん、食べないでよ」
列の一番端にあったみかんを口に放り込んだ僕に、美緒ちゃんは抗議する。
だって、食べてくれって言わんばかりに並べられてちゃ手を出さない訳にはいかないでしょ?
「別にあんたにやるつもりで剥いた訳じゃないし」
おばさんそっくりの仕草で唇を尖らせながら、美緒ちゃんは剥いたみかんを自分の近くへと引き寄せる。
「食べたいなら自分で剥きなよ」
「そんなにたくさんあるのにケチなこと言わないでよ」
「ケチとかそういう問題じゃないでしょ!」
ぎゃあぎゃあと言い合う僕たちの間におじさんが割って入る。
「ほらほら、喧嘩しない。僕が剥いたので申し訳ないけど、これを食べなさい――ええと、」
「総司です」
そう言った瞬間、美緒ちゃんがぎろりとものすごい形相で睨んできたけど、知らん顔をしておいた。
どうせまた、初めて会った頃に名前を教えなかったことを思い出したんだろう。
名前の件はどうにも美緒ちゃんの中で根深いらしく、ことある毎に引き合いに出されては恨み事を言われていたから、彼女のそんな反応も慣れっこだった。
まぁ、慣れてなくても知らん顔するだろうけど。
そんな僕たちの水面下での争いを知ってか知らずか、おじさんは「じゃあ総司くん、はい」なんて言いながら、人のいい笑みを浮かべて剥いたみかん手渡してくれる。
美緒ちゃんやおばさんとは違って、この人は随分と普通だな。
そんなことを考えながら橙色をひと房ちぎって口に運べば、酸味の強い、けれど爽やかな味が口内に広がった。
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