009 権兵衛▼side:美緒
もうあの男が来ることはないだろうと思っていた。
物盗りがしたい訳じゃない。
私を襲う気配もない。
(本当は前回も前々回もしっかりと命の危険に晒されていたらしいけれど、私がそれを知るのはずっと後になってのことだ)
目的もないのに彼がこの家を訪れる理由がなかった。
ただ、変わり映えのない日常に飽き飽きしていたから、ほんの少しだけ、本当に微かに、また彼が現れることを期待していた。
あの日、私は彼にどうしてここにいるのかを尋ねた。
彼は私が彼の質問に答えれば、それが私の質問の答えにもなる、という風な事を言っていた。
でも、結局私はその答えを聞くこともなく落ちてしまった訳で――
(中途半端ってモヤモヤする)
クイズ番組を見ていて、答えの発表直前に
誰かから電話がかかって来たような気分だった。
目の前で答え合わせが始まっているのに、別のことに夢中で結局答えは知れず終い。
次の日、皆にクイズの答えを聞いたって、そんな日に限って誰もその番組を見ていないから、結局答えは永久に迷宮入り。
知りたい欲求だけが高まっていくのに、それを収束させる場所がなくて、時間をかけてそのクイズ自体を忘れてしまうまで、ずっとモヤモヤを抱え続ける。
今の私が、まさにそんな状態。
誰かに相談したところで、きっと誰も信じちゃくれない。
答えの出ない問いかけに悶々とした一ヶ月を過ごした。
一度目も二度目も、満月の夜だった。
もし何か起きるなら、再び満月が昇った今夜しかない、そんな曖昧な確信があった。
今夜彼が来なければ、もう答えを知るチャンスはない。
(今夜は寝ない)
会社から持ち帰った仕事を抱えて、パソコンに向かう。
カタカタ鳴らすキーボード音が眠気を誘ったけれど、目覚ましスッキリ系ドリンクで閉じそうになる瞼をこじ開けた。
(……疲れた)
作業を始めてどれくらい経っただろう。
何時間もパソコンに向かいっぱなしで固まった身体を動かそうと立ち上がった。
畳の上に足を伸ばして軽くストレッチ。
前屈に悲鳴を上げる筋肉を騙しながら、ゆっくり起き上がった。
(なに?)
目の前の空間に違和感を覚える。
部屋のちょうど真ん中あたりが、妙に歪んで見える。
(疲れ目かな)
何度か目をギュッと瞑って乾いた瞳に涙を送ってから目を擦ってみても歪みは消えない。
消えないどころか、次第にその歪みは濃くなっていく。
色付いていく。
それが人型になったのに気付いた時には背筋を悪寒が走った。
(ゆ、幽霊?!)
思わず、口の中で小さくお経を唱えた。
仏壇に向かって歌うばあちゃんのお経を子守唄に育った私は、イマドキの流行歌をそらんじるよりもずっと的確にお経を唱えることが出来る。
ほらほら、お経って昔の偉い人が考えた在り難い歌なんでしょ?
成仏してよ、退散しちゃってよ!
消えろ消えろ消えろ消えろと念じながら口を動かす。
けれど、私の願いなんてちっとも聞き入れられることなんてなくて、歪みの色はどんどん鮮やかになる。
普段から神仏の類なんて信じちゃいなかったけれど、今日という今日は神様なんて絶対いないんだと思った。
かちかちと奥歯が噛み合わなく成り始めた時、歪みが遂に完全なヒトの姿になった。
それも、見たことのある姿に。
「……強盗」
「あれ、今日は明るい部屋だ」
片膝を立てた姿勢で、刀を抱くようにして座っているあの男がこっちを見て可笑しそうに微笑した。
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