006 酔っ払いとトンショ▽side:総司
全身から甘ったるいお酒の臭いを立ち上らせながら、部屋の主は始終へらへらしていた。
鯉口を切った相手を前に、そんな余裕を見せるだなんて、よっぽど胆が太いのか、それともただの馬鹿なのか――
多分、後者で間違いないんじゃないかな。
ずいぶん出来上がってるみたいだし。
それでも、彼女から注意を剥がさないよう気を付けて、慎重に口を開く。
「ねぇ、ここはどこ?君は誰?」
何か思い当たる節があるのか、彼女は僕の言葉にとろりと下げていた目を丸く見開き――
あろうことか、けたけたと笑い始めた。
「違う違う、それを言うなら『私は誰?』でしょ?」
ココハドコーワタシハダレー!
自分の言葉が可笑しかったのか、一段と高い声で笑いかけてむせ返った。
げほごほと盛大に咳き込んでは、性懲りもなく笑う。
何が可笑しいのか、僕には全然理解できないんだけど。
ひとしきり笑った後、すっと息を吸い込んだ。
彼女の纏う空気が変わる。
再び、右手を得物の柄に添えた。
胸に空気を溜めてから、彼女は口を開く。
「迷子の迷子の子猫ちゃんーあなたのおうちはどこですかー!」
突然大声で歌い出したからぎょっとした。
おうちを聞いてもにゃにゃにゃにゃにゃー!
名前を聞いてもにゃにゃにゃにゃにゃー!
にゃんにゃんにゃにゃーん、にゃんにゃんにゃにゃーん!
「そりゃ、猫はにゃーしか言えないもんねぇ?」
同意を求めるように問いかけてきた。
知らない、という気持ちを込めて目を逸らせてやる。
一瞬、虚を突かれたような顔をしたけれど、僕の態度ががまたツボに入ったのか、場違いにひぃひぃと笑い転げた。
……。
…………。
なんかこの子、ものすごく面倒臭いかも。
ううん、断定できる。
面倒臭い。
一々噛み合わない会話は、酩酊した時の新八さんを遥かに上回っていた。
すごくうるさいし、いっそのこと斬っちゃった方が早いんじゃないかな。
きっと、どこかにもっと話の分かる人がいるだろうし。
無闇に斬るな、なんて目を吊り上げる誰かさんの顔が一瞬ちらりと脳裏を過った。
あーあ、僕の頭の中ででもお節介だなんて、ほんと厄介な人だ。
もう何度目か分からないため息を落とすと、眼尻に涙を浮かべた彼女とばっちり目が合った。
僕の目の奥にあるものを見極めようとするかのように、瞳の中を覗き込んでくる。
途端にすっと彼女の瞳からふざけた色が消えた。
笑っていたと思ったら、真顔になる。
コロコロと機嫌の変わる、酔っ払い――
「どこ、なんてそんな大雑把な質問に正確な答えは出せません」
まるで別人のような声音だった。
それは、落ち着いた大人の声。
よかった、少しは話が出来そうな状態になった。
「正論だね。じゃあそうだな……僕はさっきまで屯所にある自分の部屋にいたと思うんだけど、ここはそうじゃないよね?」
「そうね、この辺にトンショなんていう地名はないわ」
「……君さ、何言ってるの?」
屯所は地名じゃない。
そう言ったのに、彼女は小首を傾げたままポカンとしている。
まるで言葉の意味が良くわかっていないみたいだった。
「屯所を知らないの?新選組は?」
「新選組なら知ってる」
「じゃあ壬生の屯所も知ってるでしょ?」
「ええっと、ごめん。日本史は詳しくないんだ」
また、話が噛み合わなくなってきた。
でも今度は、彼女が酔っているからとか、そういうことじゃないように思える。
それは、そう――まるで彼女が僕の知らない領域で暮らしてきたかのような。
彼女が僕の住む領域を知らないような。
そんな突飛な発想に、苦笑した。
以前、ここから屯所に戻った時、不可思議な目眩に襲われたからそう感じるんだ。
確かに、彼女の服装も、この部屋にあるものも不可思議なものが多い。
けれど、彼女から発せられる気は市中で見掛ける女の子のそれと少しも違わない。
明るく、奔放で、世間知らずな――女の子特有の雰囲気。
勿論、どこかの間者だっていう可能性も捨てきれない。
けれど、神仏や狐狸の類じゃないだろうっていう確信だけはあった。
9/194