074 覚悟▼side:美緒
「てめぇ、何のつもりだ!」
筋肉質な身体の男が、台所の床から飛び起きて、恐怖と苛立ちに歪んだ顔で吠える。
すぐ傍に転がっていた小さな丸椅子を片手で拾い上げると、あろうことか、男はそれを総司に向かって投げつけた。
僅かに逸れた椅子は、柱に叩きつけられて派手に弾け、木屑になって地面に落ちる。
身をすくませ、思わず目を瞑っていた私が次に目を開けた時、丁度こちらに背を向けた総司が斜めに振りかぶった刀を打ち下ろそうとするところだった。
「ころしちゃだめ!」
私の声に、総司の腕が一瞬だけ緩んだ。
けれど、慣性には抗い切れず、少しだけ太刀筋をずらして、その切っ先は下方へと叩き落とされる。
一拍置いて、総司の肩越しに男が左肩を押さえるのが見えた。
暗い色を湛えた男の瞳が、やや困惑するように総司の上を通り過ぎていく。
それから、まるでスローモーションで再生される無声映画みたいに、男の身体が傾ぎ、地面に崩折れた。
ゆるゆるとさまよう瞳の動きも、背の高い方の男の顔を恐怖の色が支配していくのも、全てが遠い画面の中の出来事のよう。
中背の男の指の間からゆっくりと一筋の紅い雫が垂れた。
それが血だと認識するのに少し時間がかかる。
腕を押さえている本人ですら、今自分の身の上に何が起こっているのか理解できていないようだった。
空気がとてつもなく質量を増したみたいに、だらだらとしか動かない。
誰も身動きしなかった。
身じろぎする微かな衣擦れの音までもが耳に届きそうな静寂の中、そんな音すら耳には届かなかった。
表の道を通る車や、通行人の話声もしない。
耳が痛くなるほどの沈黙。
けれど、永遠とも思えるような静寂もやがては破られた。
ぽたり、締めが甘かった蛇口から水滴が零れる。
その音を合図に、周囲に音が戻ってきた。
再び時間が動き始める。
「あああああああ!」
初めに動いたのは、先程までぼんやりと立ち竦んでいた背の高い方の男だった。
絶叫と共に腰のナイフを取り上げて総司に向かって突き出す。
それを余裕たっぷりにかわして、地面に垂らしたままだった刀を持つ腕を振り上げると、その柄で男の顎を打った。
がつ、と歯と歯が強烈に噛み合う音が響く。
苦痛に顔を歪めた男は、けれど反撃も出来ず、手足を伸ばしたまま後ろ向きに倒れ、昏倒した。
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