039 信ずるは、▽side:総司
「あんたに対する敵意はない、誓ってそれだけは言える」
部屋に戻って、美緒ちゃんはそう言い切った。
もう何度も思い返したその言葉を飽きもせずまた脳内でなぞりながら、山南さんの部屋で軍記物を眺めていた。
特に会話するでもなく、僕たちは黙々と手元の本に目を滑らせる。
山南さんの手が複数の頁を行ったり来たりする音を聞きながら、ぼんやりと物思いに耽るのは心地よかった。
あの日――妙な格好をさせられて車に乗り外へ出た日、彼女の家に帰ってから僕は彼女の真意について詰問した。
誘導尋問にも引っかからずに、淀みなく淡々と僕の質問に答えていった彼女の顔に浮かんでいたのは悲しそうな表情。
その表情の意味は何なんだろう。
彼女の回答は余りにも辻褄が合い過ぎていて、疑いの余地もない。
それが逆に不自然な気もしたし、正直に話しているのなら当然の様な気もした。
「ねぇ、山南さん。もし白か黒か判断のしようのない人がいたとして、山南さんならどうやってその人の本性を見極めます?」
もし、この新選組随一の論客が彼女を尋問するとしたら、どうするだろう。
好奇心から、そんな質問が口をついて出た。
「おや、そんな人がいるとは初耳ですね」
「ただの例え話ですよ」
敏いこの人のことだ、僕の言葉の裏に何かを感じ取ってはいるだろう。
けれど、それを追求せずに、山南さんは暫し逡巡してから口を開いた。
「そうですね――何か、明らかな証拠を掴む迄は、監視しながら泳がせるのが無難でしょうね」
「それでも、黒だという証拠が見つからなかったら?」
「それはもう、白としか判断するしかないでしょう」
「それでも、まだ疑っていたら?」
おやおや、随分と必死ですね。
僕の勢いに、山南さんは目を細めて笑う。
前のめりになりかけていた姿勢を正して座り直すと、穏やかで真っ直ぐな、けれどどこか冷たい光を帯びた視線が僕を射抜く。
それは、壬生狼と恐れられる新選組の頭脳、総長の目。
「最後に信ずるのは己の勘、でしょうか」
例外を除いて、一番信用出来る判断材料は己なのだと思いますよ。
そう言ってにこりと柔らかく微笑んだ彼に、僕は首を傾げて返した。
「例外って何ですか」
「何だと思いますか?」
「分からないから訊ねているのに、山南さんは意地悪だ」
くすくすと笑う僕と一緒になって、山南さんも笑みを深くする。
「例外は、情にほだされた時、です」
慕情でも、同情でも、相手に情けを掛ける心を持ってしまえば、我々は冷静な判断を失ってしまいます。
監視を続けていれば、相手の人間らしい部分も見えて来るでしょう。
それを冷静に分析するというのはなかなか難しいもの、そうは思いませんか?
山南さんの言葉に頷く。
「確かに、情が湧けば白と信じたくもなりますよね」
静かに目を伏せ、僕の中の感情を探す。
彼女が僕を――新選組を害するものだと断定出来ないのは、彼女に情が移ってしまったからだろうか。
分からない。
分からないけれど、彼女と出会って間もない頃に、僕の勘は彼女が白だと判断した。
それはまだ、彼女を警戒していた頃のことだ。
それは、すなわち――
最後に信ずるのは己の勘、か。
「答えは出ましたか?」
何もかも見透かしたような静かな瞳が僕を捉えていた。
「いいえ」
いいえ、まだ。
けれど、少しだけ結論を出すべき方向が見えたのかもしれません。
そう言うと、山南さんは小さく頷いて微笑んだ。
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