034 不知夜月▽side:総司
「お、総司!なんだお前も月見か」
ぼんやりと飾窓から空を眺めていたら、新八さんがひょっこり顔を出した。
片手に持った徳利の中でとぷりとぷりとポン酒の躍る音がする。
上機嫌の赤い顔は、もう随分と酔っ払っていた。
「ほら、お前も飲むか?」
差し出された猪口を素直に受け取ると、にこにこ笑いながら新八さんは僕の部屋の前に腰を下ろす。
「仲秋の名月はいいもんだが、不知夜月ってもの粋じゃねぇか」
独り言のようにそうごちる新八さんの声を聞きながら、猪口の中の酒をちびちびと舐め、黄色い月が昇っていくのを黙って眺める。
昼間しとしとと地面を冷やす細かな雫を降らせていた雨雲はいつの間にか姿を消し、その名残は、花も終いに近づいた鳳仙花がまとった丸っこい露だけ。
随分と涼しくなった風が、秋を感じさせた。
雨雲が去った事を知った鈴虫の音が合唱を始める。
「なあ、総司」
お前、最近なんかいい事あったろ。
ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて、血色のいいその顔がこちらを覗きこむ。
「そういう風に見えます?」
「見えるも何も、月の綺麗な晩は殊に機嫌がいいだろ?」
こりゃ女だなって、左之と言ってたんだ。
で?どうだ?昨日あたり行ってきたんだろ?
そう言って猪口を傾ける新八さんに苦笑を返す。
「確かに最近、ちょっと面白いことはありましたけど、新八さんや左之さんが期待するような色っぽいことじゃありませんよ」
なんだ、と眉を上げておどけて見せる新八さんに笑い返してから、そっと空を見上げる。
そこに浮かんでいるのは僅かに端が欠けた十六夜の月。
新八さんの言った通り、本当なら昨晩は面白いこと――‘あちらの時代’へ行っていた筈。
なのに結局、昨晩は例の眩暈も轟音もやってこないまま名月と共に一晩を明かすこととなった。
(もうお終い、ってことなのかな)
あちらへ行くのも。
美緒ちゃんに会うのも。
そう考えると、少し物足りなく感じる。
いつの間にか、自覚しているよりもずっと、あの非日常を楽しんでいたのかもしれない。
そんな自分にまた苦笑しながら、猪口を傾けた。
僕も随分と平和呆けした頭になったものだ。
(美緒ちゃんの毒気に中てられたかな)
殺伐とした世界を知らなそうな彼女の雰囲気に染まるのは危険だと、本能がそう言う。
そんな緩んだ自分がさほど嫌ではない辺り、本当に危うい。
「ねぇ、新八さん。明日、稽古に付き合って下さいよ」
最近、随分とのんびりしていたから身体がなまってる気がするんです。
そう言うと、新八さんが愛想よく二つ返事で応じてくれる。
「巡察だけじゃ足りないってか。いいぜ、ぶっ倒れるまで相手してやらぁ!」
うん。
きっと新八さんや一くんと打ち合っていれば、毒気も抜けるんじゃないかな。
そんなことを考えながら、猪口の中の酒を一息に飲み下した。
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