033 電話▼side:美緒
「あ、雨」
さらさらと屋根を叩く静かな音に耳を澄ませた。
ここ何日か空はぐずついていたけれど、遂に降り出したか――
柔らかな雨音は耳に心地よいけれど、明日からの通勤がちょっと億劫だな。
そんなことを考えながら、ほんの少し障子を開けて庭を覗いた。
(ああ、今夜は満月も見えないや)
あいつ――総司がこの家に現れるようになってから、満月の夜が雨になるのは初めてだった。
いつもは彼を待ちながらゆるゆると昇る月を見ていたのに、庭の上には今、黒く塗り潰された空が広がるばかり。
それがなんだか落ち着かない。
いや、落ち着かないのはそれだけじゃないか。
「総司、か」
名前を知っているならそれで呼べ、と。
散々そう弄られた。
改めてそんなこと言われると照れるって分かって言ってんのかな。
分かって言ってるんだろうな、あの性悪男は。
あーあ、ちょっとでもいいから月見えないかな、なんて畳の上に寝っ転がって空を見上げた。
「ちょっと美緒、かあさんの話聞いてる?」
耳に当てっぱなしだった携帯から不機嫌な声が流れ出た。
ああ、うん、そうだった。
電話中だった。
すっかり自分の世界に飛んでっちゃってた。
ていうか、それが50代の出す声か。
独特の子供っぽい喋り方に思わず突っ込む、
のを我慢する。
この人の子供っぽさは今に始まった事じゃない。
「えーっと、何の話だったっけ」
「全然聞いてなかったんじゃん」
受話器の向こうの声はわざとらしくため息を吐く。
「やっぱりあんたみたいにぼんやりした子、ひとり日本に置いておくのは心配。いい加減こっちに来なさいって言ったの」
ああ、またこの話か。
もう何年も繰り返してきた不毛な会話を慣れた口調で切り返す。
「だから行かないって言ってるでしょ。もう何年一人暮らししてると思ってるの」
ばあちゃんがいなくなってからもう随分経つ。
流石に何年も一人で生活してくれば、孤独にも慣れるし、さほど不自由は感じない。
片言の英語しか喋れない私が今更両親と共に海外生活だなんて、そっちの方がよっぽど孤独で不自由だ。
「それに今の仕事が面白いの、辞めたくないの」
そう言ったら、少しの間が空いて拗ねた声が聞こえてきた。
「うちのラボで働きなさいよ、学会で泣かされない程度には鍛えてあげるから」
なんでそうなる。
仕事が面白いから辞めたくないって、私、今そう言ったよね?
人の話を聞いてないのはお互い様だ。
ううん、聞いていながら内容をスルーするかあさんの方がもっと性質が悪い。
(月、出ないかなぁ)
まだ何か言ってる電話を放り出して、こっそりため息を吐く。
むこうはもうすぐ朝の7時。
完全に夜行性になっているかあさんもそろそろおねむの時間だろう。
睡魔に負けて電話が静かになるのを待ちながら、びしゃびしゃ雨粒を落としてくる暗い空を見上げていた。
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