「にっが……!」
そう吐き出した私を、目の前の男は目をくりくりと丸めて見つめている。
その膝の上には手つかずのままの黒い粉薬――
「な、なんで飲んでないの!」
「だって僕、最初っから飲まないって言ったじゃない」
「裏切り者っ!」
私がそう叫ぶと、奴はくすくすと笑い始める。
なんだんだよ、もう。
手酌でお酒を注ぎ足して、また呷った。
ほかほかと火照る酔いの回り始めた頬が熱い。
機嫌良く笑いながらお猪口を舐めるその姿に、何となく今しかないような気がした。
今なら言える――そう思ったから口にした。
あの名前を。
「あんたも笑ってないで飲みなさいよ――総司」
は、と私の言葉にそいつの笑顔が固まる。
「いま、なんて言ったの?」
聞き返してきた顔はもう笑ってなくて、その目は背筋が寒くなるくらい冷たい色を帯びていた。
「だ、だから、腹括って飲め「総司って――そう言った?」
誤魔化そうとしたのに、追撃された。
もう言い逃れは出来ない。
「総司……沖田総司なんでしょ、あんた」
何も言わないその目が、静かにそれを肯定していた。
「……どうして、分かったの?」
声音は静かだけれど、それが却って怖い。
「あんたが、池田屋って言うから」
聞き覚えのある名前だと思って……気になって。
消え入りそうな声で呟いた私を見て、彼――“沖田総司”はすっと翡翠色の目を細めた。
「ふうん、気になったからこそこそ隠れて調べたんだ。最低だね」
澄み切ったその声音に、私はどうしようもなく後悔した。
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