「別に飲みたくないならいいよ。帰って他の子で試すから」
「他の子?」
「そう。従順で素直でバカ正直で、誰かさんとは大違いのあの子なら、きっと苦いかどうか味見してくれると思うよ」
何となく、彼の言う“あの子”が女の子だと分かったのは、多分、女の勘ってやつ。
その子が従順で素直でバカ正直なのは、こいつのことが好きだからじゃないだろうか――
胸の奥がずっしり重くなった気がした。
なんだ、この重み。
ちょっと首を捻ってから、ひとつの結論に辿り着く。
ああ、きっとこれは罪悪感。
今私がこいつの悪だくみに乗らなかったら、いつもこの真っ黒い笑顔の餌食になっているであろう彼女の、からかわれるネタがまたひとつ増えてしまう――そんな罪悪感なんだと思う。
ほんの少し違和感を感じたけれど、それは無視した。
自分の感情なんて突き詰めて考えたところでろくなことがない。
ええい、仕方ない。
「他の子に迷惑かけんじゃないの。飲んでやるから貸しなさいよ」
でも、私に怪我なんてないから効能の検証は出来ないわよ?
そう言った私に、彼はぱっと顔を輝かせる。
「別に良いよ、どれくらい苦いのか分かればいいし」
ニコニコしながら私に幾つかある包みを全部渡した。
石田散薬は熱燗で飲むものだからね、なんて歌うようにそう言う。
熱燗?
アルコールで、薬を飲むの?
薬とアルコールはダメ。
誰に教わったのか、そう頑なに信じてきたからちょっと抵抗があった。
けれど、熱燗で飲むのが一番効くんだよ、そう断言する言葉を信じてレンジで日本酒を温める。
温めている間に瓶に残っている生温いお酒を湯呑みに注ぎ入れて呷った。
ちょっとでも酔っぱらってた方が味覚も鈍って酷い味でも我慢出来るだろう。
て言うか、普通の一人暮らしの女の子の家に日本酒なんてそうそう置いてるもんじゃないと思うんだけど。
あって料理酒程度だろう。
ビールにワイン、焼酎、日本酒……品揃えのいい我が家に感謝しなさいよ!なんて心の中で呟く。
「はい、どーぞ」
言いながら、ふたつ持ってきたお猪口の片方を押しつける。
「僕は要らないよ」
「バカ。死なば諸共に決まってんでしょうが」
無理矢理に熱燗を注ぎ入れて、空いた方の手に薬包を握らせる。
「ほら、包みを開ける!」
「……ていうか、お酒臭いんだけど」
ジト目でこっちを見てくる。
まぁ、軽く湯呑みに三杯は引っ掛けて来ましたから。
「そんな得体の知れないもの、素面で口に出来ますかっての」
「それ、すごく土方さんに失礼だよ」
全く失礼だと思っていない口調でそう言う。
ていうか、さっきから思ってたけど土方さんって誰だ。
私のその問いに、彼はいつもの三割増しくらいの黒い笑みを浮かべる。
「うちの鬼副長だよ。過保護で傲慢で我儘で――それはそれは素晴らしい句の才能の持ち主なんだ」
「……」
なんか、うん、聞かない方が良かったかな。
夢に出てきそうなくらい真っ黒な微笑みを見ちゃった。
悪魔だ。
私の目の前にいるのは、小悪魔なんて可愛いものじゃなくて、正真正銘の悪魔だと思う。
今後こいつに逆らうのは時と場合とこいつの機嫌をよく見極めてからにしよう。
そう決意して少し温くなった手元のお酒を飲み干す。
ああ、さっきバカ飲みしといて良かった。
いい感じに酔いが回って舌が死んでそう。
握り締めたままだった薬包紙を開く。
「せーので飲むからね?裏切りっこなしよ?」
そう念押ししたら、彼はあからさまに驚いた顔をした。
「ほんとに飲むの?」
君って勇気あるよね。
そう言ったから、あんたもだよって言い返してから、真っ黒い粉薬に視線を落とした。
渋々と包みを開ける手が視界の隅に入って来る。
ええい、ままよ。
せーの、と声を掛けてから熱燗を含み、目を瞑って粉を口内へ流し込んだ。
途端に焦げたような青臭いような独特の苦みが広がり、慌てて飲み込む。
更にお猪口にお酒を入れ足して、そのままぐっと呷った。
喉から胃にかけて、アルコールの通り過ぎた所がかーっと熱くなる。
それでもまだ、舌の上には癖のある味が残っていた。
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