「それに、勝手の分からないよそ様の台所だから、わざと手が滑って湯呑みとか急須とか割っちゃうかもよ?」
確かに、慣れない場所で作業すると何だか変に焦って下らないミスしちゃったりするものだよね。
わざと手を滑らせたり――わざと?
こいつ、今、わざとって言った。
うっかり、とかじゃなくて、わざとって言った。
満々だ……割る気満々なんだ……
お気に入りの食器だってある。
流石にそれを割られるのは勘弁して欲しい。
「はいはい分かりましたよ。お湯沸かしてくればいいんでしょ」
不本意ながら雑誌を脇に置いて立ち上がる。
くっそ、腹立つから自分の分だけ沸かして、自分の分の湯呑みだけ持ってき――
「ちゃんと僕の分も用意してね」
「う……どういう意味よ」
「だって君の顔に書いてるもん。自分の分だけ煎れてきてやろーって」
慌てて頬を押さえる。
そんなことしたって意味がないのに。
そんな私を見て、権兵衛(仮)は「君ってほんと色々と子供っぽいよね」なんて言い始める。
お前に言われたかねぇよ、と言い返してやりたかったけど「ほんとに僕より年上なの?」なんて年齢の話を引き合いに出されたから、生返事だけ返してさっさと部屋を出る。
ほんと、デリカシーのない奴!
どすどすと足音荒く廊下に出れば、ああ、忘れてたなんていう呑気な声が背中を追ってきた。
振り向けば、部屋から顔を覗かせた権兵衛(仮)が手に持った小さく折り畳んだ紙をふりふりと振って見せていた。
「湯呑み二杯分のお湯にこれ二つとも入れてね」
薄い紙に包まれた少し褐色がかった白い粉は見るからに怪しい。
薬物の類だろうか。
薬は困る。
時代が違うんだよ、権兵衛(仮)。
あんたんとこでは合法でも、こっちじゃ大抵の幸せになれるお薬は手を出したが最後、くるくる回る赤色灯が玄関に横付けされちゃうんだよ。
「何これ」
「葛湯」
「葛湯?」
じゃあこの粉は葛粉か。
その言葉に安堵し、ようやく彼の手から包みを二つ受けとる。
そう言えば昔病み上がりにはよく飲ませてもらったっけ。
懐かしい味の記憶が甦る。
滅多と口にすることの出来ないとろりと甘い飲み物が欲しくて、冬になると早く風邪を引けばいいのになんて思っていた。
「どうしたの、これ」
「屯所から持ってきたんだ。あ、お砂糖はもう混ぜてあるから入れなくていいよ」
はいどうぞ、なんて手渡すだけ手渡して、権兵衛(仮)はさっさと部屋に戻って行った。
一体どういった風の吹き回しか。
全く以て、自由この上ない。
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