鼻がもげたかと思った。
前方不注意の私は、見事に真正面からその人に突っ込んでいった。
痛い。
地味に痛い。
無意識に鼻を押さえた手が、その存在がまだ私の身体にくっついている事を教えてくれる。
ああ、よかった、もげてなかった。
それでなくったってブスなのに、鼻が潰れたりなんかしたら、とてもじゃないけどこの世のものとは思えない顔になるところだった。
いや、でもこんなに痛いんだから五センチくらい鼻の位置がずれてるかもしれない。
それはやばい!
ブスに磨きがかかってしまうじゃないか!
やばいやばいやばいやばい!
それでなくてもここ数年、彼氏すらいないのに嫁に行けなくなる!
本気で貰い手が居なくなる!
どどどどうしよう、マジでやば――
「おい、大丈夫か?」
テンパる私の頭上から降って来たのは、やたらと艶のある、耳触りのいい声。
「だ、だいじょぶでず、すびばせ……」
鼻を押さえながら、滑舌悪く謝罪の言葉を口にしようとした私は、その人を視界に入れた瞬間に凍りついた。
左之さん!
平助の声に、目の前の彼が三馬鹿の二人目だと気付く。
若い頃に短気を起こして切腹して見せた人――この人が?
いつか聞いた、総司の台詞に疑問を抱いた。
だって。
色素の薄い琥珀色の瞳は穏やかで、さらりと柔らかく動く赤毛を無造作に縛ったさまは優男の一言に尽きる。
“色気”を体現化したような、そんな人、なのに。
短気?
切腹?
冗談でしょう?
ぽかん、と呆気にとられる私に、更にぐいと顔を寄せて、おーい、聞いてるか、だなんて言う。
聞いてます、聞いてます。
聞いてますけど答えられないだけなんです。
だって、なに、その反則だらけな感じ。
総司、平助に引き続き、この人も。
なに?
昔の人ってイケメンしか居なかったの?
歴史の教科書に載ってる織田信長のハゲ茶瓶だとか、豊臣秀頼のしわくちゃな顔って、実は悪意あるデフォルメで、本物は俳優さん顔負けのイケメンばっかってわけ!?
ありえない!
「じ、人生のバグだあああああ」
きっと今、私は人生の幸運を使い果たそうとしてる。
一時にイケメンばっか現れて、きっともう、これからは目の保養のない残念な殿方に囲まれた人生を送るんだ……
いや、人間、顔じゃないけどね?
総司みたいな、美人だけど性格最悪、とか、そういう人もいるけど。
でもやっぱ、見目麗しいに越したことはないじゃないか……
くそう、本当に神様って意地悪だな。
私が何したってんだよ、そんなに私が嫌いか!
くそおおおおお、と打ちひしがれる私をちらちら見ながら、平助と左之さんが何か囁き合って、同情の色を灯した瞳をこちらに寄越して来ていたけれど、今はそれどころじゃなかった。
立ち直れない……しばらく立ち直れそうになかった。
穴があったら埋まりたい。
冬眠して、使い果たした幸運がまた少しずつ貯まり始めた頃に目覚めたかった。
あああああ。
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