望月の訪問者 | ナノ

102 門下


▼side:美緒



視界の端に、淡い白を見た気がした。

何だろう、この前ここに座った時には気付かなかったのに。

ほんの少し、視線だけを滑らせて道場の外の様子を窺う。

門のすぐ近く、緩い日差しが燦々と降り注ぐ区画にそれはあった。

微かに色づき始めた桃の木の蕾。

ああ、春、だなぁ。

三月上旬の空気はまだまだ冷たいけれど、それでも、雪の消えた景色は冴え冴えとして明るい。

ゆっくりと息を吸い込むと、微かな春の匂いと道場特有の硬質な空気で肺が満たされた。



――初めてここに来た時は、古い防具の匂いに目を見張ったけれど、今はもう気にならない。

単なる負けず嫌いで関わった場所だった筈なのに、非妥協的な空気にがすっかり気に入ってしまった。

凛と張った高い声に視線を引き戻せば、試合は鍔迫り合いの真っ只中。

こちらに背を向けている大きな背中は、たすきの色を見なくたって誰だか分かる――良吾さんだ。

じりじりじり、ゆっくりと、けれど確実に相手を追い詰めていく。

道場の中では、決して上手い方ではなかったけれど、良吾さんの試合はどこか息を呑むものがあった。

じりじり、じりじり。

押し負けた相手が僅かにバランスを崩した一瞬を見逃すことなく大きな身体が躍動する。

自分のとは違う、重々しい足を踏みしめる音に、木の爆ぜるような小気味良い音が重なった。



「そこまで!」



若先生の声を合図に、道場の空気が緩んだ。

礼を終えた良吾さんは、雑に面をはぎ取ると、面タオルで汗の光る額を拭った。

全員で一旦集まって、挨拶を終えてからは思い思いに散開する。



「お、今日は美緒くんも来てたのか」



何人かと談笑していた良吾さんとぱちりと目が合ったら、そう声を掛けられた。

なかなか定時に上がることの出来ない仕事ゆえ、稽古の参加も不定期になりがちで。

特に年度末は酷く忙しいから、最近じゃすっかりレアキャラ扱いだった。

それにしても。

本人はにっこりと笑っているつもりだろうが、良吾さんはどうにも顔が怖い。

大きな体躯にいかつい顔立ちはとてもじゃないけど堅気の人間には見えない。

一緒に喋っているおじさんたちはちょっと年配の舎弟――というよりは、地上げ反対を嘆願する善良な市民ってとこかな。

ほんと怖い。

顔が怖い。

けれど、裏表のない性格だとか、豪気でエネルギッシュなところだとか、この町で世話になった人がいないくらい慕われている町医者の二代目だってことなんかも手伝って、道場の人間は誰もその強面を気にしない。

それは勿論、私も例に漏れず。



「今日も豪快でしたね」



「いや、医者が怪我人を増やしちゃいかんのだがなぁ」



その言葉に良吾さんの周囲へと目を配れば、さっき試合していた相手がそこに。

足首の白いテーピングが痛々しい。

俺がドジっただけだから、と困ったように目を伏せるのは高校生くらいの男の子だろうか。

平気だと言う言葉とは裏腹に、少し歩き難そうで、つい同情的な視線を送ってしまう。

良吾さんとは組みたくない。

この人とだけは絶対に試合なんてしないからな!

そんなことを心の中で硬く誓った。



「……怪我の方は?」



「! 若先生!」



静かな声に振り返れば、さっきまで門下生に稽古をつけていたとは思えない程、汗一つかかない姿の若先生がそこに居た。

良吾さんと並ぶと余りにも正反対で、いつ見ても首を傾げたくなる。

最近道場を継いだばかりだという若先生は、まだ二十歳を幾つかすぎたくらいで若い。

小柄で端正な顔立ちをした、まさに美少年といった風貌に、道場に通う女性陣の中ではちょっとしたアイドル的存在だった。

それでも表立って騒がれないのは、ひとえに寡黙で真面目な若先生の性格があった。

どこか高嶺の花を思わせる、若先生はそんな感じの人だった。

男の子の怪我の様子を窺っていた先生は、ゆっくりと立ち上がると、凪を思わせる穏やかな瞳を眇めて溜息を吐く。

憂愁の色を帯びたその表情に、道場の隅で女の子達が色めき立った。



「加減を知って下さい、先生」



「いや、すまんすまん」



困ったようにガシガシと坊主頭を撫でる良吾さんは、けれどにやりと笑って「ここではあんたが先生だろうが」だなんてうそぶく。

一瞬生真面目な表情を崩した若先生が良吾さんの言葉に「申し訳ない、どうにも慣れなくて」などと相変わらずの生真面目な顔のまま苦笑を零した。

それを合図に、道場にさざめくような笑い声が広がったのが今日の夕方の出来事で。



「……なに、これ?」



風を通そうと縁側に出しっぱなしにしていた防具を見つけた総司が、まるで得物を目の前にした捕食者みたいな獰猛な笑みで私を詰問しているのが――今、だった。


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