「そうじ――沖田、総司?」
ゆっくりと、けれどはっきりと確信を持った声音でおばさんはそう言って、そして、やっと僕を見た。
「そうだね?」
否定するつもりはなかった。
けれど、肯定もせず黙ったまま、美緒ちゃんそっくりの彼女を見つめる。
くりくりと丸い瞳が僕を閉じ込める。
それはさっき、この家で初めて顔を合わせた時みたいに、なにかひとつでも見落すまいとしているようだった。
「そう」
僕がまだ返事をしていないのに、彼女はまるで僕の心の中の声を聞いたかのように頷く。
全て納得した、その目がそう語っていた。
「咳はつらい?」
子供みたいに真っ直ぐにそう口にする。
「たまにね」
素直に答えた僕に、少し何か考えるそぶりを見せたけれど、それ以上は何も言わなかった。
代わりに美緒、と、彼女の娘の名前を呼ぶ。
「何か対策は打ってあるの」
「……いま模索中」
美緒ちゃんの答えは、おばさんの予想の範囲内みたいだった。
やっぱりね、そう書いてある顔で頷く。
「かあさんのところで手に入るものもある」
ちょろまかすことは難しくないけど、私は研究者であって臨床の専門家じゃないからリスクが大き過ぎる。
【何を】手に入れられるか、はっきりと言葉にはしなかったけれど、美緒ちゃんは何のことか分かったみたいだった。
はっとして、がくり、項垂れる。
「ちょっと、アテにしてたでしょ」
「ちょっとだけ、ね」
「あはは」
落胆する美緒ちゃんに向かって、彼女は母親の顔で笑う。
仕方ない子ね、でも大丈夫。
まるで、そう言い聞かせるような顔。
「松本先生に相談してみな」
「……誰?」
松本先生、と聞いて、僕は咄嗟に松本良順先生を思い浮かべてしまった。
幾ら長生きしたって、流石に百五十年も先のこの時代に居る筈がないのにさ。
もし生きていたとしたら――あの屈強そうな医者は、それをなんなくやってのけそうにも見えるけれど――化け物以外の何ものでもないな。
例えばそう、変若水を飲んだとか、そういう。
羅刹の研究を反対していたあの人が自ら進んで飲む筈なんて、きっと万が一にも有り得ないだろうけど。
そんなことを考えながら、傍に居る美緒ちゃんの顔を覗きこむ。
彼女にとって、“松本先生”は耳慣れない名前なのか、思いっきり怪訝そうな顔をしていた。
「誰って、あんた」
「だって、知らないし」
困惑顔で応える美緒ちゃんに、おばさんはため息を吐く。
「あっきれた」
随分お世話になってるのに、薄情な娘に育ったものね。
そう言われても、やっぱり美緒ちゃんは分からないみたいだった。
ぐるぐると記憶を辿っているのか、考え込んでしまう。
「ほら、斎藤先生のどう「わあああああ、やめてやめて!」
“松本先生”がどこの誰なのか説明しようとしたおばさんの口を美緒ちゃんは慌てて押さえにかかった。
「分かった!思い出したから!ね!もういいから!」
お鍋食べよう、お鍋!
裏返った声で半ば叫ぶようにそう言って、不自然極まりない動きの美緒ちゃんはこたつに座り直し、鍋に箸を突っ込む。
あまりにも動転し過ぎていて、器じゃなくて、湯呑みによそっている事すらしばらく気付いてないみたいだった。
何をそんなに慌てているのか分からない。
斎藤先生のどう?
なんだか今日は随分と聞き覚えのある名前ばかり耳にするな。
まぁ、こっちも僕の知ってる斎藤じゃないんだろうけど。
特に追求するつもりはなくて、ほんの少しの白菜を自分の器に入れたまま、僕は三人が騒がしく鍋を貪る様を眺めていた。
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