083 結紐の真相▽side:美緒
「美緒ちゃん、ねぇ、きみ今ひどい顔だよ」
呆れたように笑ってそう言った総司の言葉で、はっと我に返った。
……しまった、思わずヒートアップしてしまった。
頬を濡らす雫を乱暴に袖で拭う。
人前で泣くだなんていつぶりだろう。
いや、それよりも、なんか恥ずかしいことを口走った気がする。
芝居がかった台詞がポンポンと……
指先で目尻をなぞってアイラインのパンダになっていないことを確認しながら、総司の様子を盗み見た。
バカなことを言おうものなら、この男は嬉々として食い付いてくるからね。
きっと、意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべて――そう覚悟していたのに、そこにあった表情は余りにも意外なものだった。
ぱちりと視線をぶつけてきた翡翠色は、凪いでいる。
さっきまでの歪んだ痛々しい笑みも、今は影を潜めていた。
それは、ごくごく通常営業の総司。
いつもの、いつもよりも穏やかな総司だった。
「はいこれ、落し物」
私の手の中にあった筈の結紐は、いつの間にか地面にとぐろを巻いていた。
それをゆっくりとした動作で拾い上げ、総司はこちらに差し出す。
微かに苦る感情を噛みつぶしながら、鮮やかな朱から目を逸らした。
「……返す」
そう言った私の声は、思った以上にふてくされていた。
大人げない。
けれど、どうにもそれが目の前にあると落ち着かない気分になる。
イライラ、する。
「なに怒ってるの」
笑いを含んだ声でそう言って、総司はくるくるくると、朱い紐を私の手首に巻き付け、結んだ。
「これは美緒ちゃんにあげたんだから、美緒ちゃんが持ってて」
細長い指の下から左右に均整のとれた蝶結びが現れて、ああ、こいつって意外に器用なんだと気付かされる。
手首に絡みつく細い紐がやけに重たく感じた。
なんで、私がこれを。
そう言いかけた言葉を、寸でのところで飲み込む。
代わりに、直球を投げ返した。
彼女の持ち物じゃないの、と。
「彼女って、誰のこと?」
きょとんとした顔で総司は首を傾げるけれど、首を傾げたいのは私の方だった。
どういうこと?
私の推測が何の根拠もないただの妄想に過ぎなかったの?
じゃあ、この明らかに総司の持ち物らしくない結紐は、一体どこからやって来た?
拾った、とか、そういうオチ?
「近所の子が『総ちゃんにあげる!』って」
でも、僕が結ぶには少し可愛過ぎるしね。
思っていることが顔に出ていたのだろうか。
まるで、心を読んだかのように総司はそう言った。
その口ぶりは至って軽い。
“近所の子”に特別な感情を持っていないことは、よく分かった。
いや、そうじゃない。
そうじゃなくて。
総司がした口真似は、どう考えても子供の喋り方だった。
小さな、女の子の喋り方――
なんだそれ。
なんだそれなんだそれなんだそれ!
バカみたい。
彼女がなんだ、匂いがどうだとモヤモヤした私がバカみたいじゃんか。
がくり、脱力する。
けれど、その割に私の胸はどこか軽やかだった。
「……美緒ちゃん?」
ニヤニヤしないでよ、気持ち悪いな。
本気で嫌そうな総司の声が耳に届く。
うるさいなぁ、ニヤニヤなんてしてないし。
頬が緩んでるのは、多分きっとバカみたいな自分への失笑。
断じてニヤニヤしてる訳じゃない。
そもそもニヤニヤする理由がない。
「ほんと気持ち悪い顔だな」
嘆息する総司の頭を小突いてから、私は手首の朱色をそっと掌で包みこんだ。
ニヤニヤなんて、してないんだから。
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