望月の訪問者 | ナノ

081 夏の匂い


▼side:美緒

“それ”に気付いたのは総司が帰ったすぐ後だった。

洗面所の鏡にちらりと映った朱色を見止めて振り返れば、私の髪は綺麗な結い紐できっちりとまとめられていた。

確かに、気にはなっていたんだ。

一体何で髪を結ってくれたんだろうって。

総司のことだから、その辺の蔓草を毟ってきて紐代わりにしたのかなって、そう予想していたのに。

思ったよりもずっと普通で、何だか肩透かしを喰らった気分だった。

それと同時に、微かな胸の痛みを覚える。

どうして彼が朱い結い紐なんて持っていたのだろう。

らしくない。

もしかしなくても、これは、総司の恋人の持ち物なのじゃないだろうか。

そう考える方がしっくりくる。

なのに、その事実を受け入れたくないと思っている自分がいて困惑する。

ズキズキと痛む胸に、首を傾げる。

どうして?

総司に恋人がいて、その人の物を大切にしている。

別に普通のことなのに。

別に私が傷つくようなことは何一つないのに――

寧ろ、傷つくのは“彼女”の方でしょ?

預けたのか、忘れていってしまったのか、恋人の手元にあった自分の持ち物が今、他の女の髪に飾られているだなんて。

しかも、あろうことか自分の恋人の手によって結わえられただなんて。

私だったら良い気がしない。

私じゃなくても、それを歓迎する女の子はいないと思う。

いや、流石の総司だって、そこまでデリカシーのないことはすまい。

否定しかけた自分を、否、と更に否定する。

その行為が配慮に欠けるものだって分かりながら、わざとやるのが沖田総司その人なんじゃないだろうか。

どうでもいい、なんて思っている子に対してはどこまでも残酷な気がする。

余計な期待を持たせない、一種の優しさとして。

買い被りだろうか。

いや、それが彼なりの誠意なのだと。

そう、思いたい。

そう思わなければ、余りにも辛い。

子供みたいに、おそろしく残酷で、おそろしく純粋。

それが私の知る総司だ。



(いやいや、ちょっと待て)



ふと、自分の思考の偏りに気付いて苦笑を洩らす。

この結紐の持ち主を総司が【どうでもいい子】にカテゴライズしていると、そう思うのか、私は。

そうじゃない。

分かってるクセに。

そんな筈ないのに。

これは単なる願望だ。

“彼女”が総司にとってどうでもいい子であって欲しい、なんていう浅ましい願望。

いや、嫉妬かな。

私が総司に嫉妬?どうして?

己の突飛な発想に驚く。



(バカみたい)



鼻で笑って、さっさと髪を解く。

はらり、支えを失った髪が重力に誘われて落ちていくのを見ながら、また少し胸が痛んだけれど気付かないふりをした。

湿った髪に巻きついていたせいか、朱い紐も少し湿っている。

年季の入ったそれは、けれど使い古されたような感じでもなくて、大切に扱われてきたことがよく分かった。

そんな手厚い扱いを受けてきたものを他の物と一緒に洗濯機で回すのもなんだか申し訳ないし。

私の髪に巻きついていたという事実は消せないけれど、一応未使用感を出す為に綺麗にしておきたい。

石鹸の類は使っちゃ不味いかな。

匂いって、結構気になるものだよね。

恋人にあげた物から知らない香り――うわぁ、嫌過ぎる。

結い紐に染みついた香りと似たような香りの香水でもあれば、後から誤魔化すことも出来るんだけど、生憎手持ちは多くない。

どうしたものか、と何気なく朱い紐に鼻を近づけてみれば、なんだか覚えのある匂い。

若草みたいな、陽に当てた布団みたいな、夏の匂い。

一体どこで嗅いだんだろう――

ぐるぐると脳内検索をかけるが、思い当たらない。

ええっと、すぐ最近なんだよ、これを嗅いだのは。

どこだったけ、記憶はすぐそこまで来ているのに。



「あ」



その匂いの元を思い出して、盛大に顔を顰める。

これは、この夏の香りは、



(総司の匂いだ)



そりゃそうだろう、と気付かなかった自分に呆れる。

肌身離さず持ち歩いていたら、彼の着物の匂いが移るのは当たり前じゃないか。

移り香がつくくらい、ずっと持っていた、そういうことか。

私の中で、またむくりと起き上がりかけた何か鬱陶しいものを押し潰しながら蛇口を捻る。

ああ、もういいや。

色々考えるのが面倒臭くなって、水を張った洗面器にじゃぶんと結い紐を沈めた。

ちっぽけなお情けで、香料不使用の石鹸をチョイスしたことに感謝しなさい。

けれどどんなに気をつけていたって、ひと月もこちらにあればきっと香りは変わってしまう。

そうだよ、もうどうしようもないじゃん。

こうなったら開き直りだ。

他の女の匂いがする、なんて昼ドラよろしく彼女に叱られてしまえばいい。

ばーかばーか、なんてやさぐれた気分で手を動かす。

来月こちらに来た時は、冷やかしながら真っ先にこれを鼻先に突きつけてやる。

そんなことを考えながら洗濯を終わらせた。

それで今、じわじわと姿を映し始めた総司の目の前へ、有言実行とばかりに結い紐を突き出してやっていたのに。

朱い紐を見止めた総司の表情は余りにも予想外だった。

もっと、驚いた顔をすると思っていた。

だってそうでしょ?

唐突に無言で目の前に腕が伸びてきたらびっくりするじゃない。

なのに。

驚くでもなく静かにその手を掴んだ総司は、ゆっくりと笑顔を作った。

それはいつもと変わらないもの。

その筈なのに。



(な、に)



ぎくり、と。

得体の知れない何かが背中を冷やした。

何か、違和感のようなものが。

単なる違和感と呼ぶには余りにも禍々しい“何か”が。

間違い探しのように、その正体が何なのか必死に探すけれど、総司の笑顔の裏には何も見えない。

ただの笑顔じゃないか。

そう思うのに、ぐんぐん不安が増す。

焦りがじりじりと心の端を焦がす。



(なにこれ)



早鐘のように打ち始めた心臓を飲み込みながら、不自然な沈黙を破ろうと無理に口を開いた、



筈だったのに。



「ねぇ、僕はいつ死ぬの?」



先に紡ぎ出された総司言葉に息を詰めた。



いま、なんて?





ぼくは いつ しぬの?





意味がわからない。

そう一蹴して、笑ってやりたかったのに。



「……は、」



出来損ないの言葉が喉から漏れた。

バカみたいに口を開けたまま、二の句が継げない。

ただ、陸に上がった魚みたいに喘ぐだけ。

何か言わなきゃ。

でも何を?

分からない。

でも何か言わなきゃ。

ただひたすらに思考がループする。



そんな無様な私を見つめる総司は、やっぱりいつもと変わらない、けれどひどく歪んだ笑みを浮かべていた。


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