076 稽古▼side:美緒
「う……わっ!」
慣性に逆らい切れなかった木刀が手からすっぽ抜けそうになり、思わず悲鳴を上げた。
どうにか堪えたけれど、結局、その勢いで体勢が崩れる。
慣れない動きに痛み始めた腕をはたはたと振りながら、恐る恐る総司の顔色を窺った。
「ほんときみって軟弱だよね」
じくじくと刺さる辛辣な言葉を発した彼のこめかみに、青筋が見えそうだ。
マンガならきっと、あの見慣れた怒りを示唆するマークがでかでかと書きこまれているんだろう。
静かな水面を思わせる微笑みが怖い。
その下にどんな怪物が眠ってるんだ。
そんなことを考えて、ぶるりと身震いをした。
有言実行とはまさに彼のことで「稽古をつけてあげる」とそう言った総司は、今夜、二本の木刀を手に現れた。
全力での抵抗も空しく早々に庭へ引っ張り出されて、木刀を握らされる。
これが結構重い。
見よう見真似で頭上から降り下ろしても、よくあるような重い風斬り音なんてしない。
しかも、振り下ろす力を加減しないと重力に引っ張られて剣先は地面まで振り切れ、結果、強かに腿を打つことになる。
隣で同じように素振りをする総司の木刀はぶんと空気を裂いて下がり、きっちりと腰の位置で止まる。
(付け焼刃でどうにかなるもんじゃないでしょ、これ)
こっそりとため息を吐く。
叶うなら、聞こえよがしにため息を吐いてやりたいけれど、情けなくも怖くて出来ない。
剣を握った総司はまるで別人で、普段のサディスティックさが可愛く思えるくらいだった。
その指導はもはや鬼の領域。
こいつ絶対私のこと女だなんて思ってない。
今夜、そう確信した。
まるでスポ根ドラマのようにびしばしと指導される。
それがまた手荒いこと。
日々、こいつと打ち合っている新選組の人たちが哀れに思える。
余程のマゾヒストでもない限り、こんな稽古、嫌で仕方ないだろう。
総司の言っていた、“疲労と打撲でしばらく腕が上がらなくなった子”に思いを馳せると涙が出そうになる。
心中お察しいたします――と、胸の内で合掌。
「ねぇ、誰が手を休めていいって言ったの?」
そんな総司の冷え切った声で現実に引き戻される。
ぽんぽんと片手に木刀を打ちつけながら、こちらを見てにっこり微笑んでいる。
絶対零度の微笑み。
脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
「もう腕がパンパンで、握力もなくなってきたし今日はこれでお終いにしよ?」
ね?と首を傾げると、それはきみの決めることじゃないなんてぴしゃりと撥ね付けられた。
いやいや、握力ないんだよ。
木刀握れなくなってきてるんだよ。
今度こそ手から抜けたら危ないじゃん。
硝子が破れたり、障子に穴開いたりするじゃん。
抗議の眼差しを送っても完全に無視。
ああそうかい。
仕方なしに木刀を握り直して、総司の方を向く。
すっぽ抜けた木刀が総司に当たればいい、ちょっとぐらい痛い目見ろ、なんてやさぐれながら再び素振りを始めた。
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