出来るだけ低い位置から頭を出して、曲がり角の先、台所を覗きこむ。
二人の男が無駄に広い台所内を行ったり来たりしているのが見えた。
一人は中背のがっしりした体つき、もう一人は針金みたいにひょろりと細い、背の高い男だった。
二人とも黒っぽいキャップを被り、顔の半分をマスクで覆っている。
服装も似たり寄ったりな無地のカットソーにジーンズといった井出達で、体型の違いくらいしか二人を見分ける術はなかった。
がたがたと荒い音を立てながら、二人は台所の引き出しを片っ端から物色している。
それは、明らかに歓迎出来ない行為。
悪い想像が現実になった瞬間、頭の中が真っ白になった。
どうしよう、どうしようと気持ちは焦るばかりで、実際にどう対処すればいいかなんて分かる筈もない。
それでもここで震えている訳にもいかないと、見開いているばかりで何も映していない瞳に意識を集めて、台所の様子を観察する。
ひっくり返された引き出し、時折何かが割れる音、二人の男の姿――
ふと、開きっぱなしになっていた流しの下に目が行った。
その扉には包丁を吊るしておく為のストッカーが組み込まれていて、使わないながらも菜切り包丁や刺身包丁の類をぶら下げていた。
それらが、今は見当たらない。
それは即ち、刃物の類を全て掌握されているということ。
男二人を相手にする、というだけでも随分リスキーなのに、相手が凶器を所持しているとなると、到底太刀打ち出来そうもない。
早々に屋外へ逃げ出して警察へ通報した方がいいのかもしれない。
けれど、捜査の手が家中に入れば、当然総司の刀が見つかってしまう訳で――
「しけてやがんな。次の部屋行こうぜ」
ジレンマに悶々とする頭にそんな声が割り込んできた。
がちゃん、とひと際大きな音を最後に、台所を漁る音が止む。
あああ、まずい。
台所の隣、廊下に上がるまでには小さな物置がひとつあるだけ。
そんな狭い空間の検分なんてすぐに終わる。
こっちに上がり込んで来るのも時間の問題だ。
こうやって、私が様子を窺っているのも、じきに見つかる。
「……行こう」
ごくりと唾を飲み下して、両手に持った総司の小太刀を取り上げる。
その重さだけを頼りに覚悟を決めた。
なかなか床から離れない足を叱咤してべりりと引き剥がし、一歩前へ踏み込んだ時だった。
けたたましい音が空気を引き裂いた。
ポケットに入れっぱなしにしていた携帯の着信音。
心臓がぎゅっと縮みあがる。
「おい、帰ってきてんじゃねぇか」
物置の方からそんな声がした。
まずい。
心臓が早鐘を打つ。
着信を知らせる音は止まない。
祈るような想いで時が過ぎるのを待った。
「ちょっと見て来い」
その声に応えるように、ぎっと廊下の床板が軋んだ。
ぎしぎしと足音が近づいてくる。
耳の傍でどくどくと血液の流れる大きな音がする。
空気の薄い場所に居るみたいに、幾ら息を吸っても胸が苦しい。
口を開けて酸素を求めるけれど、全然満たされない。
首元で血液が脈打っているのが分かる。
心臓の収縮を感じる。
体内の酸素が薄くなって、頭がぼんやりし始めた頃、ようやく着信音が止んだ。
その分、近づいてくる足音と自分の心音が余計にクリアに鼓膜を震わせる。
どくどくどくどく。
今にも心臓が飛び出しそうだ。
浅い呼吸を繰り返しながら、握り締めて真っ白になった指の間の刀を見下ろす。
朦朧とする意識の中からどうにかして冷静な思考を引っ張り出そうと目を閉じた。
落ちつけ。
落ち着いて、刀を構えて。
思い出せ。
総司は慣れた手つきでこれを扱っていたじゃないか。
いつか、刀の手入れをしていた姿を思い返す。
柄を握って、鞘を支えて、ゆっくりと抜く――
「覚悟のない子に僕の刀を触って欲しくないんだけど」
背後からそんな声がして、両腕から刀の重みがなくなった。
「そっ……んん!」
叫びかけた私の口を大きな掌が覆う。
振り返ったすぐ目の前に、綺麗な翡翠色。
「君はここに居て」
それだけ言い残して、総司はさっさと刀を腰に差した。
そのまま、すたすたと軽い足取りで廊下を曲がっていく。
まるで、ちょっと喉が渇いたから台所へ水を飲みに行く、とでも言わんばかりに。
その所作が余りにも自然で、私はただ、彼のうしろ姿を呆然と見送るしかなかった。
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