064 媚薬*side:千鶴
「お帰りなさい、沖田さん!」
いつもより少し早めに起きて、沖田さんの部屋に向かったら、ちょうど部屋から出て来る姿を見つけて駆け寄った。
昨晩、土方さんが探していたことを報告し、しどろもどろに沖田さんが居ないことを誤魔化したら余計怪しまれてしまったことを謝ろうと思って口を開いたのに――
振り返った沖田さんの表情があまりにもいつもと違うから何も言えなくなってしまった。
「ああ、千鶴ちゃん。おはよう」
ふにゃりと笑うその顔は余りにも無防備で、まるで別人のよう。
心なしか頬が赤い。
「大丈夫、ですか?」
「どうして?」
「その……少し、お顔が赤いので」
そう?なんて首を傾げる沖田さんは、やっぱり少し変。
けれど、継いだ二の句に私は耳を疑った。
「いま……なんて仰いました?」
「恋かなって言ったんだけど」
聞こえなかった?
ゆっくりと柔らかく笑むその顔は、朝陽を受けてキラキラしている。
いいえ、聞こえていました。
ただ、沖田さんの口から“恋”だなんて言葉が出て来るとは信じられなくて――
以前、永倉さんが沖田さんは女に興味がないんじゃないかって仰っていたことを思い出す。
花街に行っても、お酌をする女の人に見向きもしないって。
それどころか、女の人を買う姿すら見たことがないって。
その後、こんな話女の子に聞かせるものじゃないって慌てて謝って下さったけれど、確かに沖田さんが誰かに恋い慕うなんてちょっと想像出来なかった。
ただ、近藤さんの為だけに生きている、そんな感じだったから。
近藤さん以外は無価値だと、そう思って生きているように見えたから。
困惑する私なんかにはお構いなしに、いつもよりずっと柔らかい口調で沖田さんは言葉を続ける。
「それとも媚薬でも盛られたかな」
‘がとーしょこら’を食べたあたりから、胸がドキドキするんだ。
がとーしょこら?
聞き慣れない言葉に首を傾げる私にゆっくり微笑みかける。
「千鶴ちゃんは甘いものを食べると、ドキドキする?」
「……いいえ、しません」
甘いものを食べたら、ほっと幸せな気持ちになる。
けれど、ドキドキはしないと思う。
むしろ、ドキドキしていた心の臓が少し大人しくなるくらいかも。
「じゃあ、やっぱり恋か媚薬だ。どっちだろうね」
答えられなくて黙ってしまった私をちらりと見て、沖田さんは面白そうに目を細める。
つられるようにして、私も曖昧に微笑んだ。
私にはが‘とーしょこら’が何なのか分からないし、沖田さんの心も見えない。
ただ、曖昧に笑むのが精一杯だった。
「ところで、何か用があったんじゃないの?」
おもむろにそう訊かれて、本題を思い出す。
そうだった、沖田さんに謝りに来たんだった。
「昨晩、沖田さんがいらっしゃらなかった間に――」
土方さんの名前を出すと、そこにはもういつも通りの顔をした沖田さんがいて、なんとなく不思議な気分のまま昨晩のやりとりを話し始めた。
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