063 穏やかな時間▽side:総司
「あ、来たね」
僕を視界に入れた瞬間、美緒ちゃんは弾けるような笑顔を浮かべた。
いつかの日のように、部屋一杯に甘い香りが満ちている。
おいでおいでと手招きされるに従って、机の前に座った。
にこにこにこ。
今日の美緒ちゃんはやたらと上機嫌だ。
上機嫌で、何か言いたそうにうずうずしている。
「……なに?」
「ほら、約束の!」
そう言った彼女が机の上に置いた白い紙箱。
彼女の意図を図りかねて、再度「なに?」なんて尋ねてみたのに、いいから早く開けろと急かせれた。
仕方なく箱に手をかけるとそっと開ける。
開けた瞬間、一気に甘い香りが強くなった。
そこには、あの日見た説明書きとそっくりな褐色の柔らかそうな‘がとーしょこら’。
「これでご満足かしら?」
得意げにそううそぶいてから、美緒ちゃんは立ち上がる。
茶を入れて来る、なんて言って部屋を出るから何となくその後に従った。
そんな僕を不思議そうに振り返って、彼女は小首を傾げる。
待っててくれていいよ、瞳がそう言っている。
緩く首を振って、先に進むよう促した。
湯が沸くまでの間、彼女はころころと機嫌良く笑いながら途切れることなく話題を展開していく。
仕事の話、食べ物の話、友人の話。
いつも以上に朗らかな彼女の様子が、元居た時代への現実感を薄れさせる。
余りにも温度差のあるふたつの現実に、どちらか一方が夢であるかのような錯覚を覚えた。
こちらが現実か、あちらが現実か。
こちらが途切れることのない現実で、次に夢を見た時には、あれは全てが悪夢だったと笑えればいい。
目が覚めてから、八木邸の一室に向かい、籠り勝ちな山南さんに「ひどい夢を見たんです」って笑えない笑い話を報告できればいいのに。
そんなところへ思考が辿り着いて苦笑する。
世迷い言を。
争いも謀りもないこの部屋へ来れば、いつだって気が緩む。
気が緩んで初めて、自分が随分弱っていることに気付いた。
山南さんのことは山南さんが決めたことだ、好きにすればいい。
けれど、まだどこかで折り合いをつけられていない自分がいる。
気付いていたのに。
気付いていたのに、止められなかった。
近藤さんにあんな苦しそうな表情をさせたのは僕だ。
もっと早く動けていれば。
もっと早く対処できていれば。
結局、僕は剣でしかない――斬ることしか出来ない。
変えようのない過去を悔いるだなんて意味のない作業、やるだけ無駄だと分かっている。
けれど、自責の念を拭うことは出来なかった。
なぜ、どうして。
そればかりが脳裏に浮かぶ。
どうして――
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