061 終わらせてあげる▽side:総司
静かになった八木邸を背にして、まだ月の昇らない暗い夜空を見上げる。
細かな星だけがちらちらと瞬く。
‘彼ら’はもう起き出している頃合か。
小さな灯りのついた前川邸に目を落としながら、温い春の夜に身を浸せば、自然とため息が漏れた。
(近藤さんも厄介なのに付け込まれたよね)
剣客として生きていかずとも気にする必要はないと、そう言って山南さんに微笑みかけた伊東さんの言葉が甦る。
あーあ、嫌になっちゃうな。
思い出したくもないのに、昼間の殺伐としたやりとりが脳内で繰り返される。
結局、無言で広間を出ていった山南さんは夕餉の時も顔を出さなかった。
今までだって随分思い詰めてたみたいだから、変な風に転がってしまわないといいんだけど。
(……あれ)
人の気配を感じて八木邸を振り返れば、その山南さんがゆっくりとした足取りで廊下を渡り、広間に入っていくのが見えた。
こんな時分に広間に何の用があるんだろう。
不可解な行動に首を傾げる。
けれどそれ以上に気になったのは、一瞬だけ見えた山南さんの表情。
その顔には、どこか吹っ切れたような、憑き物が落ちたような、妙にすっきりした表情が浮かんでいた。
何かが頭の中で警鐘を鳴らしている。
前川邸の中が穏やかな静けさに満たされていることを確認してからその場を離れた。
そんな必要はないと思いながらも、つい足音を忍ばせてしまう。
土を踏む微かな自分の足音だけが耳に届く。
縁側に上って、広間への戸に手を掛けた瞬間、中からくぐもったうめき声が漏れ聞こえてきた。
勢いよく手を払って扉を開け放つと、闇の中に浮かび立つ白い髪と、苦痛に歪んだ紅い双眸が視界に飛び込んできた。
それは、人であることを失いかけた瞳――
床に転がる小瓶を目にする前に、全てが理解できた。
「沖田くん……ですか……」
微かに残った理性を掻き集めて発せられた兄弟子の声に、目を細め、笑みの形を作る。
まるでいつも通りの声で夜の挨拶をすると、山南さんの瞳の中にもほんの少しだけ微笑が灯ったような気がした。
「薬を飲んだんですね」
山南さんは微かに首肯する。
己の運に掛けてみたと、うめき声がそんな言葉を織りなす。
「けれど、見ての通り……失敗です……」
そう言って、苦悶の混じったままの声が、僕に刃を求める。
失敗作を処分しろ、と。
人である内に終わらせてくれ、と。
僕は小さく嘆息する。
たまたま居合わせた僕に不始末の後処理をさせるなんて。
あなたを殺せと言うなんて。
山南さん、あなたは本当に意地悪だ。
ぎらぎらと狂気が見え隠れする紅い瞳が僕を捉えて離さない。
早くしろ、と無言の訴えが肌に突き刺さる。
あーあ、仕方のない人だ。
あなたを斬ってしまったら近藤さんが悲しむじゃない。
僕がそれを望んでいないことを一番よく知っているのは山南さん、あなたでしょ?
本当に嫌になっちゃうな。
でも、それでも――
あなたが望むなら、きちんと終わらせてあげますよ。
山南さんと目を合わせたまま、僕はゆっくりと刀を抜いた。
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