008 150年後の梅▽side:総司
この前と同じように、また轟音が聞こえる闇の中を通って屯所に戻って来てた。
ああ、疲れちゃったな。
ふわりと大きな欠伸が出て来る。
丸窓の障子を開けて明けていく空を見上げた。
お天道さまの光が目を眩ませる。
ぼんやりしていたら、白に染められた世界にザクザク砂利を踏みしめる音が響いた。
「あ……沖田、さん。おはようございます」
桶を抱えた少女は桜色の袖を翻して少し硬さの残る表情で微笑んだ。
「うん、おはよう。こんな朝早くから、何してるの?」
桶の中身がちらりと見えたから、彼女がどんな意図で人目の少ない時間帯を選んでここに来たかは大体想像がついたけれど、それでも一応訊ねてみた。
まぁ、社交辞令ってやつかな。
なのに彼女はまるで聞かれては困るようなことを聞かれた時のように、わたわたと慌てふためいている。
「あ、あの……言わなきゃ、駄目ですか?」
上目遣いにそう尋ねる顔は、首筋まで真っ赤だ。
「言えないようなことをしてるの?」
「えっと、その……」
「その言えないようなことの内容によっちゃ、君のこと斬らなくちゃいけなくなるかもしれないんだけど?」
「そんな――!」
今度は一転して、真っ青になる。
一々面白いなぁ、そういう素直な反応。
さっきまですぐ手の届くところに転がっていた“彼女”と比べてそう思った。
斬ってもいいから、なんて言われたのは初めてだった。
煩そうに剣先を追いやられたのも。
思い出してみるとなんだかひどく愉快で、笑いが込み上げてきた。
「あの、沖田さん……私、その――」
「ねぇ千鶴ちゃん」
何か言いかけた彼女の言葉を制する。
「150年後、日の本はどうなってると思う?」
「ひゃくごじゅうねん、ですか……?」
突拍子もない質問に、千鶴ちゃんはくりくりと目を見開いている。
んー、と小さく唸ってから彼女は慎重に言葉を選びながらぽつりぽつりと口にした。
「私なんかじゃ、想像もつかないですけど――でもきっと、150年後もお天道さまは温かくて……梅は可愛らしく咲いているんじゃないかと思います」
今と同じように。
意外にも強い言葉尻でそう言いきった彼女に、今度は僕がくりくりと目を見開く番だった。
ああ、そうか。
そうなんだ。
何年経っても同じなんだ。
今ここにある梅の木は、150年後にはここにないかもしれない。
でも、この木に実った種が芽を吹き、大きく育って、どこか遠くで花を咲かせているかもしれない。
そうやって、形は変わっても完全になくなってしまうものなんてこの世にはひとつもないんだ。
‘今’は続いていく。
「す、すみません」
黙り込んだ僕に、千鶴ちゃんが頭を下げる。
「なんで謝るの?」
「だって……私、変なことを言いました」
「そうだね、変だね。……でも、ありがとう」
僕の言葉に意外そうに目を見開いた彼女は、どういたしまして?と疑問形で答えた。
「隊士たちが稽古を始めるまでまだ時間があるから、ゆっくり湯浴みしておいで。千鶴ちゃん」
この場を立ち去る機会を失ってしまったように手持ち無沙汰に突っ立っている彼女にそう言ったら、また真っ赤になって上ずった声でなにやら叫んでから駆けて行ってしまった。
やっぱり面白い。
「総司、あまり苛めてやるなよ」
彼女が去ってから、ゆっくりとした足取りで左之さんがこちらにやって来る。
「あれ、左之さん聞いてたの?」
「知ってたろ」
「まぁね」
「……ったく、抜け目ねぇな」
「この時間の監視は左之さん?あの子から目離してたら誰かさんに雷落とされるよ」
「おっと、そうだった。そろそろ行くわ、じゃあな」
「覗きなんてダメですよ?」
「バーカ、新八や平助でもあるまいし」
からからと笑いながら歩き去る左之さんの背中を見送った。
「今と同じように、か。」
左之さん達が消えた方をぼんやり眺めながら、もう一度千鶴ちゃんの言葉を反芻する。
なぜだか、ふわりと肩の力が抜けるのが分かった。
靄がかった頭をゆっくりと傾けながら、どこか満たされた気分で床につく。
何処かで隊士が起き出したのか、さわさわと聞こえてくる微かな生活の音が耳に心地よかった。
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