053 甘×焦▽side:総司
魔が差した、としか言いようがない。
あの夜の、自分がとった不可解な行動の理由がどこにも見当たらなかった。
弱った彼女を見て、庇護欲が掻き立てられた。
それで?
それで、お終い。
やっぱり、魔が差したんだと思う。
(嫌になっちゃうな)
彼女に好意がない訳じゃない。
でもそれは、惚れたとかそういう感情じゃない。
僕にそんな感情必要ない。
僕には近藤さんがいれば、新選組があれば、それでいい。
大切なものはそれだけ。
それ以外は邪魔だし、要らない。
(それは揺るがないことなのに)
あれからもう何度目か分からないため息を吐いた。
ため息を吐きながら辿り着いた美緒ちゃんちは甘い匂いに満ちていた。
でも、肝心の美緒ちゃんが居ない。
部屋に灯りがついているから、出掛けている訳でもないのだろう。
匂いを辿って勝手場に向かうと、目を背けたくなる様な惨状の中でくるくると立ち働く美緒ちゃんの姿があった。
「……何やってるの?」
「ぎゃ!そそそそそ総司!」
慌てて振り返った美緒ちゃんの頬には何かがくっついている。
よく見れば、彼女の頬の茶色いものは、勝手場のそこら中に飛び散っていた。
「出てって出てって!男子厨房に入るべからず!」
そんなことを言いながら、勝手場から追い出される。
なんなの、一体。
もうすぐ終わるから大人しく部屋で待ってて、ね?
なんて拝み倒されて、仕方なく部屋に戻る。
することもなくて暇だし、‘すとうぶ’に当たりながらぼんやり美緒ちゃんが戻ってくるのを待った。
机の上に乗っているやたらと派手な格好の女の子が並ぶ薄っぺらい本を眺めてみる。
この時代の文字は、ちょっと読み辛いから、すぐに飽きて放り出した。
時折、彼女の悲鳴とか、瀬戸物の割れる音なんかが響いてくるんだけど、ほんとに放っておいて大丈夫なのかな。
うとうとと宵寝を始めた頃、家中に満ちていた甘い匂いが、にわかに焦げ臭くなった。
ていうか、すごく臭いんだけど。
障子を開けて廊下に出ると、廊下は煙で少し白く霞んでいる。
「ちょっと、何やってるの」
我慢出来なくなって再び勝手場に顔を出すと、眉を八の字にして美緒ちゃんが煙を噴き出している四角い箱の前で呆然と立ち竦んでいた。
「ケーキが……炭に……」
もうもうと上がる煙を、手近なところにあった薄い板で扇いで散らすと、僕は熱気が押し寄せて来る箱の中を覗き込んだ。
ひどく焦げ臭い。
焦げた苦い匂いの中に、さっきまであった甘い匂いが微かに残っている。
その匂いの元は、美緒ちゃんが言う通り、真っ黒な炭になっていた。
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